第60回 奥

フォービズムの華 ドランのロンドン・シリーズ追考

作家 多胡吉郎

 マティスと並ぶフォービズム(野獣派)の旗手だったアンドレ・ドランが描いたロンドン・シリーズは、全部で30点(現存するのは29点)。その内、最も多くがテムズ川沿いを描いた絵になる。
 テムズ川の顔として、しばしば絵葉書に登場する観光名所のタワーブッリジについては、ドランも6点あまりの絵で描いているが、彼のユニークなところは、そうした美景スポット以上に、産業経済都市の最前線である水運、交通、造船の現場としてのテムズ河畔に、より興味を覚えたらしきことである。
 結果、いわゆる「プール・オブ・ロンドン(Pool of London)」と呼ばれる、ロンドン・ブリッジから下流のシティの沿岸部を数多く描くことになった。いくつものドックが並び、多数の船舶が、そこで物を積み降ろし、また修繕や補給にあたるという、活気に溢れた港湾施設の労働現場を活写している。
 ここに紹介するのは、その名もずばり、『ザ・プール・オブ・ロンドン』(1906 テイト・モダーン)という絵である。
 大きな船が停泊している。どこからか荷を運んできて降ろし、新たに荷を積んで出港して行く。大きな船に隣接して、艀(はしけ)のような小舟も並ぶ。船上では、何人もの港湾労働者が立ち働いている。
 彼方には、小さくタワーブリッジが遠望される。喫水線の低い、砂利船のような川船が流れの中央を行き交う。船からも、岸からも、蒸気が吐き出されている。鉄骨のクレーンも見える。
 巨大都市の経済最前線の現場なのだが、不思議と、ドランの筆遣いは和やかな印象を与える。フォービズムという名が喚起する荒々しさは、むしろ薄い。
 船のエンジン音を始め、いくつもの重く、金属的な音が重なり、都市のエネルギーを放出しているに違いないのだが、船を彩る暖色系の色合いや、川面の波を表す緑色の点描のゆえか、ほのぼのとした情感さえ漂う。
 ドランが抱えた不思議な二面性かもしれない。


 ドランによるロンドン・シリーズが、パリの画商のアンブロワーズ・ヴォラールの発案によって生まれたことは前に記した。
 画商の目論見としては、モネがロンドンで描いたテムズ川河畔の風景画の大成功を踏まえ、柳の下の二匹目のドジョウを狙ったのである。
 モネのロンドンでの絵画のうち、最も世に知られたものは、テムズ川北岸に聳える国会議事堂を対岸から眺めた光景であろう。対象が気に入ると、モネは何度も繰り返し描くことが多かったが、ロンドンの国会議事堂も20点ほどの作品がある。
 『国会議事堂』の連作は、1901年から02年頃にかけて制作され、いずれも、テムズ川南岸にたつ聖トマス病院から眺めた景色が描かれた。
 モネとロンドンと言えば、1870年、普仏戦争が勃発した折、戦火を避けてロンドンに居を移したことが知られている。そのことが意識にあって、恥ずかしながら、彼の描いたロンドンの連作絵画も、もっと前の、19世紀後半に描かれたものだと錯覚していた。
 普仏戦争から30年もたって、モネが再びロンドンを訪ねたのは、英国留学中だった息子のミシェルが病に倒れ、そのケアのために渡英したからであった。3年にわたって長期滞在することになるが、その間、国会議事堂のみならず、ウォータールー橋やチャリング・クロス橋の連作を描いている。
 ロンドンとテムズ川の魅力は霧の湧く冬に限られると、モネは公言しているが、霧の都と呼ばれたロンドンの、川面に湧くもやいの彼方に、国会議事堂というシンボリックな建造物がおぼろに姿をさらすさまは、印象派の手法と相まって、独特の情感と魅力を生み出した。今なお、このシリーズの愛好者は世界に数知れぬほどいる。
 さて、ドランのロンドン・シリーズのなかにも、テムズ南岸のほぼ同じ場所から、モネと同方向に視線を向け、対岸の歴史的建造物を描いた作品がある。『ビッグベン』(1906 トロワ(Troyes)近代美術館)――
 ビッグベンと国会議事堂とはひと続きで、ワンセットとなる建物なのだが、モネは『国会議事堂』とし、ドランは『ビッグベン』とした。タイトルそのものに、両者の絵の違いが象徴的に表れている気がして、興味深い。
 モネの作では、模糊とした霧の彼方に聳えるのは、歴史を刻んできた、堂々たる荘重な建物である。国の顔であり、議会政治の砦ともなる威厳に満ちた存在なのである。
 だが、ドランの絵に於いては、そういう権威主義的な臭いは一掃されている。太陽はギラギラと輝き、明るい光を四辺に放射する。川の中ほどに帆掛け船が行き、ビッグベンに近い岸側には何艘もの筏を連ねて進む船団がいる。
 モネが静なら、ドランは動である。両者の個性の差と言えばそれまでなのだが、わずか5年の違いで、同じ風景がこれほどの差を生んだのだ。いかにも巨匠然とし、老成したモネに比べ、ドランの粋のよさというか、若々しさ、そして新しさは特筆すべきであろう。
 モネはやはり19世紀の巨匠、ドランは20世紀絵画を拓いた人だったと感じられてならない。


 そのようなドランであれば、ロンドン・シリーズに於いても、水辺ばかりでなく、喧騒の街中にも足を運び、目を向けたことは当然のように思える。
 街頭を描いた代表作の『リージェント・ストリート』――
 今も昔も、ここはロンドンの目抜き通り、大賑わいを見せる。まだ自動車が一般的でなく、馬車が主要な交通手段であった当時から、交通ラッシュと呼ぶほどの混雑ぶりであった。1900年頃のモノクロの写真を見ても、所狭しと車馬の行き交う、ごちゃごちゃとした混乱の様子に、目を見張らされる。現代と少しも変わらない。
 漱石が英国に留学中、神経衰弱にかかり、不愉快を募らせたのも、まずはこうした近代都市ならではのカオスに馴染めなかったからだったろう。
 ドランの絵では、現在のタクシーに当たる、1人から2人乗りの個人用の「ハンサム」と呼ばれる馬車、そして「オムニバス」と呼ばれた乗り合い馬車が描かれている。左下には、自転車も見える。これも、新時代を象徴する乗り物だった。さらに画面左下には、サンドイッチマンの姿も見える。人出の多い繁華街ゆえにこうしたPR活動が行われている。 すべてが、いかにも20世紀的だ。
 馬車が一定方向に向くのではなく、あちらを向いたりこちらを向いたりで、混沌を極めているのも面白い。数多くの人々が登場するが、誰一人として、目鼻などは書きこまれていない。無個性の大衆が群居している、これもまた、実に現代的な描き方だ。
 実景としての喧騒、混沌のすさまじさが勝った結果か、色彩的には、むしろおとなしく感じられる。色彩の氾濫はないが、抑制的な色遣いの中、オレンジ色のポイント使用の効果が抜群だ。


 ロンドンの都市内部へと分け入った作品としては、目抜き通りを描いたものとは別に、公園を描いたものもある。『ハイドパーク』(1906 トロワ近代美術館)――
 21世紀を生きる我々からすると、公園という素材自体に、現代性を感じることは、まずないと言ってよい。だが、もとは王侯貴族の狩猟場であった緑地帯が、市民のための「公の園(=公園)」として開放されたのは、近代になってからのことである。
 つまり、緑溢れる公園に市民たちが憩う姿もまた、当時の視点に立てば、充分に「現代的」だったのである。テムズ川で活気ある労働現場を描き、リージェント・ストリートの交通ラッシュを描いたドランの姿勢は、一貫している。
 ドランの描いたハイドパークには、幅広の帽子をかぶり、犬を連れたファッショナブルな女性や、女性の家族であろうか、ふたり連れの子どもたちが、画面手前に描かれている。奥にはカップルの姿も見える。遠くの広い道には、行き交う馬車も見える。乗馬を楽しむ人もいる。
 ドランの筆がとらえた都市住民の憩いの場としての公園は、活き活きとして、生の歓びに溢れ、微笑ましい。フォービズム(野獣派)という呼称から喚起される粗暴さ、野性味は、ここでは控えめである。だが、木々の描き方、赤茶色の幹、そして緑の芝の間を縫って縦横に走る道に塗られたピンク色が効いている。
 私自身、英国在住中に何度となく訪ねたハイドパークであるが、そこを描いて、これほどに心浮きたつ、幸福感に満ちた絵画を他に知らない。
 ドランのロンドン・シリーズの魅力は、テムズ川沿いの水辺の景色にばかりあるわけではない。モネが描いたロンドンは、水のゆらぎであり、霧のたゆたいであった。彼の愛する光の変容を、テムズのほとりに見つめた。
 それに反して、ドランは、アーバンライフとしてのロンドンの活気に惹かれていたように見える。活力に満ち、生気に溢れたロンドンという大都市を描くに、フォービズムのフォルムと色遣いが見事にはまった。
 モネのロンドンの連作絵画に比べると、知名度的には劣るドランのロンドン・シリーズだが、都市と芸術家の出会いとしても貴重な宝を生み出したのは間違いない。
 しかも、フォービズムの旗手として美術史に名を残すドランだが、その実、彼がフォービズムに留まっていた時期はせいぜい数年で、その後はスタイルを幾度も変えるに至る。
 昔、「みじかくも美しく燃え」という映画があったが、ドランが燃えるようなロンドンを描いたのも、短い出会いの結果だった。滞在期間だけでなく、ドランのスタイルがフォービズムを離れてしまうからである。
 ロンドンもまた、20世紀の進行とともに、ドランが訪ねた時のような、世界をリードする先頭ランナーの位置から脱落して行く。第1次世界大戦後は、世界のリーダーはアメリカに移る。
 それを思えば、ドランの描いたロンドン・シリーズは、二重の意味で、まさに「みじかくも美しく燃え」た、奇跡のような果実だったのである。


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