霧にむせぶ風景を、彼は好んで描いた。蒸気機関車の吐く煙にも魅せられた。繰り返し描いた水連の池の水面の揺らぎは、彼の代名詞のようになった。
その人が、雪景色に惹かれ、雪原の光の反射に興味を示したとして、何ら不思議はなかろう。印象派の巨匠、クロード・モネ(1840~1926)は、西洋絵画にあって雪を描いた代表的な画家であり、生涯に140点もの雪景色の絵を残した。
『かささぎ』は、1868年から69年にかけての冬に描かれ、雪を描いた作品としては初期のものになるが、モネの雪の絵としてよく知られた作品になる。サイズ的にも、モネの雪の絵のうち、最大のものであるという。
実は、雪景色を描いた西洋絵画の古典は多くない。ブリューゲルの『雪中の狩人』のような名品もなくはないが、画家の関心は雪と氷に閉ざされた冬景色の中の人の営みにあるのであって、雪そのものを美的対象として眺める姿勢は乏しかったようだ。
この点、日本の浮世絵が雪景色を頻繁にとりあげ、雪に情緒を見出してきたのと比べると、明らかな差がある。印象派とジャポニスムの関係は語られて久しいが、モネが雪の絵に開眼したのも、浮世絵の影響があったであろうことは想像に難くない。
『かささぎ』が描かれたのは、フランス北西部、ノルマンディー地方の海辺の町、エトルタの近郊であった。ここに、パトロンだったゴーディベールが家を提供してくれたので、モネは内縁の妻のカミーユと1867年に生まれた長男のジャンとともに、移り住んだ。
もとはモデルだったカミーユとの間に子までなしながら、モネは親の反対により、正規の結婚ができないでいた。晴れて二人が結婚できたのは、1870年になってのことである。
隠れ家のような愛の巣を得て、モネは画業に励む。風景画家ブーダンの影響もあり、ひとり戸外で描くことを基本とした。雪に覆われた風景を前に、絵筆をとったのがこの絵なのである。
アパルトマンの建ち並ぶ都会でもない、かといって人っ子一人いないような山奥や森の中でもない、地方の、一応は人が暮らすものの密度はいたって薄く、自然の美しさにも恵まれた田舎町の一帯が、悉く雪に覆われている。夜の間降り続いた雪は、今はやんで、雪面が朝日を浴びて白銀に輝いている。
雪の朝の外気は冷たく寒い。しかしそのなかにも、射し込む朝の陽光にはぬくもりがある。透明で、清冽な空気は、肌に心地よい。雪の朝の質感を見事にとらえた本作からは、おのれの吐く息の白さまでが見えてきそうだ。
白い雪に覆われた中にも影があり、モネはそこに、うっすらと青みを加えている。雪原に射す光の印象を追求したかったモネにすれば、それこそが作品の命であったろう。
今日では雪景色を描いたモネの最高傑作としての評価が高いこの絵だが、当時の正統派からは、影に色をまじえていることが嫌われ、1869年のパリ・サロンでは、落選の憂き目にあっている。
少し時代は下るが、「新印象派」の名付け親となった美術批評家のフェリックス・フェネオンは、モネの『かささぎ』に対し、「美術学校やアカデミーのシェフたちの手になるタールのようなソースに慣れた人には、淡いこの絵は驚愕を与えた」と結論づけている。
雪の印象とは別に、私がこの絵に強く惹かれるのは、タイトルともなった一羽のかささぎの存在である。曰くありげにとでもいうか、いささか哲学的な趣を以て、白の広がりに黒紫の点を置き、その孤影を晒している。画家として自立の道も定まらず、結婚すらもままならない、この時代のモネの孤独を象徴しているのだろう。
モネの初期の絵には、時折この手の、彼の胸中を暗示するかのような「仕掛け」が組み込まれている場合があるが、これも、20代後半に描かれた『かささぎ』を見る、ひとつの見どころとなるだろう。
2026年はモネの没後百年にあたる。メモリアルイヤーに、東京のアーティゾン美術館では、2月7日から5月24日まで、「クロード・モネ ―風景への問いかけ」展が開かれる。この展覧会に、オルセー美術館所蔵になる『かささぎ』が出品される。
パリで実物を目にして以来、だいぶ時がたってしまったが、雪の季節にこの絵に再会できることを、今から楽しみにしている。