タイトル

第69回 奥

冬景色、雪の絵を辿って

作家 多胡吉郎

象派以前の西洋古典絵画には、雪の絵は決して多くない。雪に閉ざされる冬は、死を思わせる停滞の季節であり、ひたすら耐え忍ぶことを強いられたからだったろう。
 その中にあって、気を吐くように冬景色を描く画家たちを輩出させたのが、オランダである。とりわけ、ヘンドリック・アーフェルカンプ(1585~1634)は、冬景色を専門とする風景画家として、大変な人気を博した。その世界は、氷上にスケートを楽しむ人たちが中心である。
 低地帯で運河の多いオランダなればこそだが、寒さもものかは、老若男女、全面氷結した運河に繰り出してスケートに興じる姿を見ていると、黄金の17世紀を中心に、オランダが商業大国として、世界に冠たる軌跡を残した気概が伝わってくるような気がする。ただ、氷上のスケートを楽しむ人々を描く絵が中心なので、冬景色専門のこの画家も、雪への関心は高くないようだ。
 アーフェルカンプの傑作『スケーターのいる冬景色』(1608頃 アムステルダム国立美術館)は、その先行作品として、しばしばピーテル・ブリューゲルの『鳥罠のある冬景色』(1565 ベルギー王立美術館)と比較される。だが、人々が憩う凍った運河が中心をなす風景の構図は似ていても、建物の屋根に積もった雪など、雪への関心は、ブリューゲルの方がはるかに高い。寒々しい冬景色に欠くべからざるものとして、雪が意識されている。こんもりと屋根に積もった雪が印象的で、しっとりとした情感が醸し出されている。
 これに比べると、アーフェルカンプは極めて世俗的であり、楽天的である。凍てつく中にも、人々の動的な賑わいがあり、それがアーフェルカンプの身上であり、魅力でもある。
 ブリューゲルの描く冬景色は、神の大地を思わせる。自然と人間を見つめる厳しくも穏やかな眼差しが、その絵画を、比類なき芸術作品の高みに押し上げる。
 天才ブリューゲルによって、雪は絵画芸術に深遠な意味とともに登場させられた。傑作『雪中の狩人』(1565 美術史美術館)はもとより、『ベツレヘムの人口調査』(1566 ベルギー王立美術館)や『幼児虐殺』(1565~67 ハンプトンコート王室コレクション)などの作品で、ブリューゲルは雪を描いている。
 製作年代が似通っているのは、1564年にオランダを襲った大寒波が影響していると言われる。ブリューゲルを「覚醒」させた冬景色が、処々に展開されたのだろう。

景色を描いたフランス画家の先駆者に、ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)がいる。その名もずばり、『雪景色』(制作年不詳 国立西洋美術館)という作品は、もとは松方コレクションに収められていたというが、画家が晩年に滞在先のスイスで描いたと伝えられている。
 描かれたのは、降り積もる雪に覆われた冬の森である。水辺の奥に4頭の鹿たちが息をひそめている。極寒にも耐え、静かに生をつなぐ木々、そして動物……。その生命の息づきを、クールベは崇敬の念を以て描く。
 「生きた芸術(アール・ヴィヴァン)を標榜したクールベは、写実主義(リアリズム)の画家であると説かれる。ただ、私はより正確に言うと、クールベの語った「アール・ヴィヴァン」とは「生の芸術」を意味し、生命への共感と讃仰を画布に写すことが、その芸術的使命であったと考える。
 その意味では、クールベの『雪景色』の雪は、厳寒のなかの生命を際立たせる「下地」のようなものであり、雪の輝きであるとか、情緒といった方向には、画家の関心は向かわなかったかに見える。
 フランス絵画の流れの中で、雪自体に目を向け、描く対象として決定づけたのは、やはりモネを措いてはいない。モネの雪の絵をさらに見てゆこう。
 『アルジャンタイユの雪』(1875 ロンドン、ナショナル・ギャラリー)――。アルジャンタイユは、パリから北西に10キロ、セーヌ川沿いの町で、カミーユと晴れて結婚したモネは、マネの紹介を得て、この町に家を求め、1871年から1878年まで暮らした。
 この頃のモネには、セーヌ川に浮かぶ船などの絵もあるが、冬にはここでも雪の絵を立て続けに描いた。18点は下らないと言われる。『アルジャンタイユの雪』は、その中でも最もよく知られ、愛された作品になろう。
 雪に覆われた道、道の両サイドの雪をかぶった裸木。霞む建物、奥の空など、ワイドアングルのすべてが質感豊かに描かれる。荷車のわだちの跡や、雪道に色を点じて歩く通行人の様子なども、いかにもそれらしい。全体として、しんしんと、すべてを雪に埋め尽くされた街の空気感が如実に、そして情感豊かに伝わってくる。
 もちろん、モネは雪にもいくつもの色を忍ばせている。雪自体が観察と表現の対象なのである。モネによって、雪は絵画として新たに「発見」されたと言ってよかろう。
 なお、同様の作品が、東京の国立西洋美術館にも収められている。こちらは松方コレクションから引き継がれた作品だ。

西洋絵画が伝統的に雪を描くことに消極的であったのに比べると、日本は昔から雪の絵の宝庫である。江戸時代の浮世絵には、いくつもの雪の絵の傑作が見られる。
 その中でも、最も雪の絵が多いのが歌川広重(1797~1858)である。広重と言えば、最もよく知られた作は、『東海道五拾三次』のシリーズになろうが、その中の「蒲原夜之雪」は、日本人ならどこかで目にしていない人はいないだろう。
 山も里も、すべてがすっぽりと雪に包まれ、こんもりと雪に覆われた風景。すべての音さえも、雪に吸いこまれてしまいそうな森閑とした雪の夜……。静寂の中、まばらながら、人の動きもあるにはるが、笠を被り、蓑をまとい、背を丸め、雪に足を取られて重たげに歩を進める旅客たちも、雪景色に溶け込んで、風景と化している。
 鄙(地方)の雪を描いた見事な作……。しかし、広重の雪への眼差しは、都会に於いても見事な結実をもたらす。 最晩年の傑作が目白押しの『名所江戸百景』の中に、秀逸極まりない都会の雪の絵がある。『浅草金龍山』がそれだ。
 誰の目にも、まずは構図の斬新さが目を射抜くことだろう。浅草の雷門の向こうに、山門と五重塔を望む。色彩的にも、白と赤の対比が強烈なコントラストをなす。白は勿論、参道や木々、お堂や塔の屋根を覆う雪である。この白い雪の部分は、「空摺(からずり)」という技法を用い、絵の具をつけずに摺ることで紙に凹凸をつけ、こんもりと雪の積もった質感を立体的に出すことに腐心している。雪へのこだわりが、職人の高い技術を伴って、究極にまで追及されたのである。さすがに、江戸の雪の絵の第一人者、広重ならではの仕事ぶりだ。
 広重の描いた都鄙双方の雪の絵は、ともにしっとりとした情感を湛えている。ユニークな構図や色づかいの妙もさることながら、雪に埋もれた都会や田舎町が醸し出す情感は、間違いなく、フランス印象派の画家たちに多大な影響を与えたことだろう。雪の町は、描くに足る魅力ある素材であることを、彼らは日本の浮世絵を通して、「発見」したのである。

はその、日本に学んだであろう印象派の画家たちが描いた雪の絵を、最後に見てゆこう。
 カミーユ・ピサロ(1830~1903)は、印象派の画家たちのまとめ役を果たした人で、年齢も他の画家たちに比べ、10歳ほど上だった。風景画ばかりを描いたピサロだったが、雪の絵も何点か残している。
 『ルーヴシエンヌの雪道』(1870頃 ビュルレ・コレクション)は、雪の上がった通りと町を、朝らしき光の中に描いている。モネの『かささぎ』もそうだったが、印象派の画家たちがまず惹かれた雪景色は、夜の間降り続いた雪が未明にはやんで、そこに朝の陽射しが注いで雪面が光り輝くという光景であったようだ。
 それにしても、ピサロのこの絵は、ひどく爽やかな印象を受ける。陽射しを受けて輝く雪と、雪面に長く伸びた木々の影。キュッキュッと雪を踏みしめて歩く、おそらくは出勤途中なのであろう、肩に荷を掲げた男の後ろ姿からは、口笛でも聞こえてきそうだ。新雪の残る朝の清々しさを、ピサロは空気感まるごと、活き活きと伝えてくれている。
 舞台となったルーヴシエンヌの町は、パリから10キロほど西方に行ったセーヌ河畔の町。今では大都会パリへの通勤圏として都市化が進んでいるが、19世紀中後半の当時は、素朴な田舎町の風情を保っていた。
 ピサロは、1869年から、普仏戦争のために疎開した一時期を除き、1872年までここに暮らしている。この町を舞台に、多くの絵を残したが、冬の町を描いた中に、雪の絵も混じることになる。
 ルーヴシエンヌは四季を通し、風景画の素材に富むことから、ピサロだけでなく、モネやルノワールもここで絵筆をとったが、街と画家との結びつきで言うと、何といっても、アルフレッド・シスレー(1839~1899)がその代表格となろう。
 シスレーは、パリ生まれだが、両親はイギリス人だった。若い頃にイギリスに渡ってビジネスの勉強をするが、絵画への情熱やみがたく、1862年にパリに戻り、モネやルノワールと親交し、印象派に加わる。
 以後、生涯にわたって印象派の画風を変えることはなかった。モネが最も印象派らしい画家は誰かと問われて、シスレーだと答えたという逸話はよく知られている。もっとも、同じ印象派でも、陽光溢れる南仏・地中海よりも、静謐な風景を好んだのは、イギリス人の血の故であったろうか……。
 そのシスレーのお気に入りの場所が、ルーヴシエンヌだった。1870年にこの町に移り住み、約5年間を暮らした。町を離れて以降も、たびたび訪ねては、画布を立てたという。
 シスレーの雪の絵からふたつを紹介しよう。ひとつは、1874年、ルーヴシエンヌに暮らす間に描かれた『ルーヴシエンヌの庭~雪の効果~』(フィリップス・コレクション)。そしてもうひとつは、1878年、ルーヴシエンヌを離れた後に描かれた『ルーヴシエンヌの雪』(オルセー美術館)――
 同じ路地と言ってよいほどに、よく似た場所の絵である。奥から婦人が一人、歩いてくるという構図も瓜二つだ。
 ただ、前者では、雪は降っているものの、前景から中景にかけては視界が開け、一応は遠景も見渡せる。中遠景の平面的な描きようは、江戸の浮世絵からの影響を思わせる。
 後者では、すべてが雪に埋まったような感が強い。視界はかなり遮られる。木々の枝や壁、柵に積もる雪も、こんもりとしている。静かな雪景色の中にたったひとり姿を晒す婦人の姿が、孤独なぬくもりを与えている。
 私は、この絵に、広重に共通するものを感じとる。雪景色に見出した情緒、情感……。美は、冬のさなか、雪を冠ったさりげない風景の中にも、しかと輝いているのだ。
 モネ、ピサロ、シスレー、これらの印象派の画家たちによって、初めて西洋画に於ける雪の絵は、江戸の浮世絵に並んだ。洋の東西を超えて、雪景色は、世界共通の美の対象となったのである。

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