グラナドスの曲「ゴイェスカス」には、「恋する若者たち(恋するマホとマハたち)」という副題がついていた。「マハ」と言えばやはりゴヤの描いた『着衣のマハ』『裸のマハ』の絵で有名だが、女性個人につけられた固有名詞ではなく、「よい女」、「小粋な女」を意味する一般名詞なのだという。「マホ」はその男性形。何となく、昭和初期の「モガ」と「モボ」(それぞれ「モダンガール」と「モダンボーイ」の略)を連想させる。
宮廷画家でもあったゴヤは、国王家族や貴族の婦人など、固有名詞で語られる高貴な女性の肖像をいくつも描いているが、固有名詞ではない女性=「マハ」たちの姿を描いた作品も少なくない。多くの場合、それらは肖像画というよりは風俗画の趣で、民衆的な風土の香りに満ちている。
1777年に描かれた『アンダルシアの散歩道(マハとマントで顔を覆う男たち)』(プラド美術館)を見よう。もともとは、夏の離宮、エル・パルド王宮の王太子夫妻のダイニングルームに飾られるタペストリーの下絵として描かれた。
着飾った若き可憐なマハ。本命となるパートナーは隣に佇む男らしいが、彼女を狙う男たちは他にもいて、後方に立つ男2人と、前方に座り込んだ男と、都合3人が彼女を取り囲む。すぐ横にいる男は、そうしたライバルの存在に気を揉んでいる。愛を巡る嫉妬と葛藤がテーマとなる絵だというが、全体の雰囲気は明るく、娘にも暗さは見られない。
ただ、画面の隅をよく見ると、右端に修道女のような女がおり、立ち姿の男たちの後ろには誰かと話し込むような訳あり風の中年女性がいる。深読みすれば、オランダ絵画によくある、若い女性を売り込む女衒(ぜげん)のように見えなくもない。ならば、右端の尼は、性の放縦をいましめる存在なのであろうか。それらの一切を含め、白昼の陽光と緑が溢れる中で繰り広げられる、マハとマホたちの日常的風景なのであろう。
『パラソル(日傘)』(プラド美術館)という作品も1777の作。やはり、エル・パルド宮を飾るタペストリーの下絵として描かれた。
燦々と降り注ぐ陽光。梢を揺らすそよ風。明るい南国の景色の中心に、花のように着飾った、輝くばかりの可憐な娘がいる。「どう、私ってきれいでしょ?」とでも言わんばかりの、自信と気負いに満ちた姿だ。
背後からやさしく日傘をさしかけるマホ。服装からすると、恋人ではなく、従者のようだ。マハの膝に子犬がうずくまるのも、忠実を表すメタファーかと思われる。お嬢様と従者。娘の関心は外に向かうも、従者の男はお嬢様を慕っているのだろう。
微笑ましい景色のなかにも、ゴヤは階級差を見逃してはいない。しかしそれでいて、人間同士の間に交わされる情愛の、ほのぼのとしたあたたかさの尊さをも充分に承知している。陰と陽を重ね見るゴヤ独自の視点が光る。
王宮や宮殿の壁に飾るタペストリーといえば、神話的世界を描くのが従来の常識であったろう。だが、ゴヤは喜怒哀楽に満ちた現実の国民生活をテーマに選んだのだ。それ自体、革新的であり、王太子夫妻がそれを許していることを見れば、スペイン国の充実と文化的成熟を表すことにもなろう。
タペストリー制作のための下絵(カルトン)を描くことは、ゴヤの画業の一つの柱であった。生涯に63点に及ぶ下絵を描いている。
1786年から87年にかけて、再びエル・パルド宮に飾る四季をあしらったタペストリーのために下絵を描いているが、ここでもマハたちが季節の風景の中に魅力的な姿を晒している。
春を表す『花売り娘』(プラド美術館)――。膝をついた後ろ姿のマハが、裕福そうな夫妻にバラの花を売る。男は、指を口に持って行き、「内緒だよ」とでもいうような口止めの合図を送る。妻のいないところで、これまでにもさんざんアプローチをかけてきたのか、男の下心が見え見えなのである。
男が別の手に子ウサギを持っているのは、サプライズの手段らしいが、象徴学的に言うと、多産を意味することにもなるという。春にふさわしいあしらいなのだろう。
春を描いたこの絵では、マハは花売り娘。身分の差に堪えつつも、男たちの求愛を集めて、花をひさぐ。
やはりパルド宮の食堂に飾られる四季を主題としたタペストリーの下絵として描かれた『ブドウ摘み。または秋』(1786 プラド美術館)では、ブドウの房をいっぱいに詰めた籠を頭に載せたマハが正面像を晒す。いかにも秋の豊穣を思わせる季節の彩だが、マハの置かれた状況はいささか複雑である。
主要登場人物はマハの頭上のブドウ籠を頂点にした三角形の構図に収まり、左右底辺の点をなすのは夫と妻と思しき男女である。三角の古典的な構図に収まる人間関係としては、生産(販売)者と購入者という対立軸だけでなく、明らかに服装に差があるので、身分の高い裕福な夫妻と、土臭いブドウ農家の娘という階級的な対立がある。
それだけはない。艶福家めいた裕福な男は「どうだ、美味そうなブドウだろう」とでも言うように、妻にひと房を差し出すが、その視線は妻に向くというより、上目遣いにブドウ売りのマハに注がれているようにも見える。
その視線の危うさに、肝心のマハは気づいているのかいないのか微妙だが、黄色の服の富裕者の後方、農作業中の男(おそらくはブドウ売りの娘の家族であろう)の視線と表情に、はっきりと不安と嫉妬が描かれている。
これぞすなわち三角関係と言えば、駄洒落のようになってしまうが、ゴヤはこの一見すると平和そのもののように見える、のどかな秋の田園風景のなかにも、階級対立や、そこに差し込む複雑な男女の色模様を見逃していないのだ。
ただ、この手のマハの絵を、社会批判だけに塗りこめてしまうのも、作品を細らせてしまうことになろう。色恋沙汰はギリシャ・ローマの神々たちの十八番。それを思えば、エロスに彩られた神話世界が牧歌調の民の暮らしに降りてきたと言えなくもない。
そうした神話性の名残を引きずるからこそ、絵をもとにしたタペストリーが王宮の壁に掛けられもしたのであろう。実りの秋の豊穣にふさわしい、新たな神話世界が、民画のような味わいをもつ風俗画の中に息づいているのである。
ゴヤにとっての「マハ」と言えば、『着衣のマハ』と『裸のマハ』は外せない。ゴヤの代表作であることは言うに及ばず、ゴヤのこの2点の作品があればこそ、「マハ」という言葉は世界の人々の耳に馴染んだものとなった。その実、固有名詞として誤解されている場合も多いようだが、ともかくも、「マハ」は歴史や地方性を超えた歴史的国際語たり得ている。
『裸のマハ』が1800年の作、『着衣のマハ』は1801年から03年にかけての作――。『着衣』が後から描かれたのは、『裸』をカムフラージュするためのものだったと言われるのが一般的である。表だった所には『着衣』を置き、よほどの機会、あるいは所蔵者の極私的な悦楽として、『裸』が鑑賞されたかと考えられているわけだ。
このあたりについては、かまびすしいモデル論も含めて、第8回奥「裸婦に思う。『借り着』を剝いだその下に」で書いたので、ここでは繰り返さない。
ただ、今回の「マハ」論の論旨に沿って記しておきたいのは、「マハ」という言葉が、固有名詞を意味しないばかりか、謎めいた匿名性の輝きを発揮することもあり得たといことである。つまりは、「或る女」とでも言うような……。
『裸』と『着衣』でゴヤの描いた「マハ」は、単なる朴訥な娘ではない。その底に秘めたファムファタル的な底知れぬ魅力を湛えている。名を明かさぬことで、むしろその魔性の美しさが際立つのである。
もうひとつ、語るべき重要なことは、この両作品を描いた時点で、ゴヤは聴覚を失っていたということである。1792年に、病を得て耳が聞こえなくなったという。このことは、確実にゴヤの画業に影響を与えていると考える。
言葉(会話)というものは、人間がまとう最も基礎的かつ根源的な「衣装」そのものでもあろう。娘たちの陽気な語らいもはじけるような笑い声も、もはやゴヤの耳には届かない。耳に届かぬ分、ゴヤは、マハその人の真性を、「衣装」なしに見つめなければならない。マハの魅力は、言葉を超え、言葉の「衣装」を剝ぎ取ったところで、ゴヤの心眼に訴える。
ゴヤにとっては、『着衣のマハ』が『裸のマハ』である必然を抱えていたのである。
ゴヤの描いた「マハ」作品のうち、『着衣のマハ』『裸のマハ』の両作品についで世に知られた絵画は、おそらくこの作品になろう。『バルコニーのマハたち』(1808~1812頃 個人蔵)――。
タペストリーの原画として、1770年代、1780年代に描かれた牧歌的な田園風景の中の「マハ」たちと異なり、ここに描かれたふたりの「マハ」は、いかにも都会の麗人風で、顔立ちも、身にまとう衣装も、男の視線を集めずにはおかない魅力に溢れている。単なる上流婦人たちというより、着飾った性の誘惑者たちのようだ。
マハたちの背後には、黒いマントや帽子をかぶったふたりの男たちが控えているが、相当に怪しげである。表立っては姿を晒せないマハたちのパトロンかもしれないし、マハたちの性をひさいで収入を得る女衒のような存在かもしれない。いずれにせよ、おぞましさが匂い立つ。
マハたちは魅力全開なのだが、その美しさには、影がつきまとうのである。ゴヤは社会批判の眼差しをここでも貫いたとも言えるだろうが、私個人としては、この作品の真の意味は、ほぼ同時期に描かれた『時(老女たち)』(1810~12 リール美術館)と並べ見ることで、初めて理解できる気がする。
この絵に描かれたふたりの老女は、『バルコニーのマハたち』のなれの果てである。
歳月が否応なく彼女らの美しさを奪った。いくら華麗なる衣装や装飾品を昔と同じようにまとってみても、背後に控える時を司るクロノスは、もはや避けようもなく死が迫ることを告げているのだ。
伝統的なヴァニタス(空虚、無常)を表すことは自明ながら、私が面白く思うのは、この『時(老女たち)』の作品と『バルコニーのマハたち』の関係が、『裸のマハ』と『着衣のマハ』との関係と、相似形を描くように感じるからである。
衣装を剥ぐことで晒される偽りなき真の姿――。華麗な衣装をまとう今を時めくマハたちが、「時」によって外観の美を奪われれば、もはや襤褸のような醜姿を晒すしかない……。
あたかもオンとオフのように、或いはコインの表と裏のように、両者を並べて見せることで、ゴヤは表現に重層的な深みを与えている。
思い起こせば、牧歌調の民俗画、風俗画のような作品の中に描かれてきた多くのマハたちも、微妙な表と裏を抱え、それをゴヤの筆によって描出されてきた。マハたちを追って、ゴヤは「女の一生」を描いて来たとも言える。
『着衣のマハ』『裸のマハ』を別格として、ゴヤが論じられる時、多くの場合、後半生に描いた社会批判の強い作品や、反戦のメッセージを抱えた作品へと向かいがちである。それは、語りやすくもあり、受けやすくもある。
しかし、何気ない素朴な乙女たち=マハたちの風景にこそ、ゴヤの真骨頂があるのかもしれない。少なくとも、そこにゴヤを解く新たなカギが潜んでいることは、間違いないように思うのである。