第65回 表

女は絵画で復讐する!?
ボローニャの女流画家、エリザベッタ・シラーニ

作家 多胡吉郎

 北イタリア、エミリア=ロマーニャ州の州都、ボローニャ。ヨーロッパ最古の歴史を誇るボローニャ大学を有し、「ポルティコ」と呼ばれる美しい回廊で知られた歴史と文化の町……。17世紀、このボローニャで、ひとりの女流画家が、時代に先駆けた華々しい活躍を見せた。エリザベッタ・シラーニ(シラニとも。1638~1665)――
 父親も画家で、グイド・レーニの弟子だったが、父のもとで基礎を学んだエリザベッタは、17歳でプロとしての画業をスタートさせ、父が痛風で絵筆が持てなくなって以降は、家族と弟子たちの生活を支え、女の細腕で奮闘を重ねた。早描きの多作で知られ、単独での作画を疑う声が湧き起こり、エリザベッタは絵を人前で公開して仕上げ、その才能が本物であることを証明して見せたこともあったという。
 作品は当時の慣例に従い、宗教画や歴史画が主だが、女流であることを意識してか、描く対象はすべて女性だった。聖母子像などは得意のテーマだったに違いないが、興味深いのは、作品のなかに、女が男を「成敗」する内容の絵が散見されることである。 とりわけ、ユディトが敵将ホルフェルネスの寝首を掻き、べトリアの町をアッシリアの侵略から守ったという旧約聖書の逸話は、お気に入りだったようで、私が知るだけでも4点が今日に伝わっている(実際にはもっと多い可能性がある)。
 ユディトという敵将を討つ聖女のテーマ自体は、例えば15世紀から16世紀にかけてドイツで活躍したクラナッハ(父)や、時代が下って20世紀初頭のウィーンでクリムトが描くなど、画題として普遍性をもつものではあるが、女性が描いたとなると、特別な意味を生じることになろう。男社会への反抗、復讐といった、歴史を超えた現代的、社会的な主題が浮き彫りになるからだ。
 ユディトを描いたエリザベッタの作品のうち、今日とりあげるのは、大型(236・5×183㎝)で、堂々たる歴史画の趣を有する『ホロフェルネスの首を持つユディト』――
 ユディトを描くのに画家たちがよく選ぶ、殺害現場の血なまぐさい雰囲気は、この絵にはない。寝屋で切り落とした敵将の首を、いったんは袋にしまい、町の広場に設えられた舞台に上がり、ユダヤの同胞たちの前で袋から取り出して見せる、まさにその瞬間なのである。
 この直後に、民衆の歓呼の声がこだましたに違いなく、それはユダヤ人たちの心を奮い立たせ、やがて侵略者のアッシリアを撃退することに成功する。絵の背景に描かれた夜空の星々と雲間に現れた月影が、その後の運命を象徴するように冴え冴えしい。
 ユディトは救国の英雄だが、エリザベッタは、ゴージャスな衣装と出で立ちでユディトの高貴さは描きだしても、敢えてヒロイックな感じを強調せず、剣をかざして武を誇ることもせず、静かに、厳かに、荘厳な儀式に臨む女性を描いている。男にはできなかった勤めを女が果たしたという、つつましやかな自負が、作品全体に清らかな気品を与えている。
 エリザベッタは生前からその実力が高く評価され、人気画家だった。女性芸術家のためのアカデミーを設立、多くの弟子たちを教えた。エリザベッタによって、何人もの女流画家たちが世に出ることになった。
 そうした活躍が可能だったのは、ボローニャという土地柄が、比較的女性の活躍に寛容だったからだとも言われている。能力ある女性が、能力に見合った仕事に就くことに、ボローニャの為政者たちは異を唱えなかったのだ。
 父のもとから独立して10年ほどの間に、エリザベッタは200を超える作品を描いた。女流の先駆者であることを意識してか、結婚はせず、仕事一筋に、超人的な活躍を続けた。
 だが、死が突然に彼女を見舞った。27歳で急逝、誰の目にも不自然に映るその死に対し、毒殺説まで囁かれたという。今では、仕事のストレスによる胃潰瘍だとする説が一般的だが、何となくすっきりとしない。
 ユディトに象徴される女性の勝利を描いたエリザベッタが、それ故にこそ、社会から「成敗」されてしまったのだとしたら、あまりにも悲しい。直接の死因はともかく、「女流」を背負って仕事に邁進した先駆者の夭折は、否応なく「殉死」の様相を帯びてこざるを得ないのだ。

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