ユディトを主人公に女性の勝利を描いたエリザベッタ・シラーニ(1638~1665)には、もうひとつ、強烈な「男成敗」の絵がある。『アレクサンドロス大王の隊長を殺すティモクレア』(1659 カポディモンテ美術館)――。女性の復讐を描いた歴史画である。
時は紀元前335年、アレクサンダー大王が率いるマケドニア軍がギリシャの都市テーバイを襲った際の話。大王軍の隊長は、テーバイの貴族の屋敷に押し入り、娘のティモクレアを強姦し、さらには金品まで差し出せと迫る。ティモクレアは咄嗟に一計を案じ、金は井戸に隠したと答える。欲に目のくらんだ隊長が体を屈んで井戸を覗き込むや、ティモクレアは後ろから男の両足をつかみ、えいやっとばかりに井戸に放り込んだ。男が絶命するまで、彼女は井戸の底に石を投げつけたという。
その後、ティモクレアは捕らえられ、アレクサンダー大王の前に引き立てられるが、事の経緯を聞いた大王は、ティモクレアの勇気と知力を讃え、無罪放免したと伝えられる。歴史上の人物であるティモクレアの復讐の現場を描いた絵画として、エリザベッタのこの絵は、大変に世に知られた作品となった。
ティモクレアは凌辱された後の筈なのだが、その姿には乱れもなく、表情も悲痛を窺わせず、毅然として、鋼の意志をもって全力で事に当たっている。その結果、「男成敗」は見事に成功するわけだが、復讐の劇的な瞬間を描くエリザベッタの筆は、女性の意志に焦点を絞ったかのように、直截で揺るぎない。
無論それは、先の『ホロフェルネスの首を持つユディト』同様、女性が女性を描くことによる共感と大義のなせるわざだったに違いない。
「男成敗」の絵画として、エリザベッタ・シラーニと並んで、つとに世に知られた女性画家の作品がある。アルテミジア・ジェンティレスキ(1593~1652)が描いた『ホルフェルネスの首を斬るユディト』(1620年頃 ウフィツィ美術館)――。
またしても救国の聖女・ユディトの登場なわけだが、この絵をとりわけ有名にしたのは、画家のアルテミジア自身が、やはり画家だった父親の助手からレイプされ、そのことを知って怒りに燃えた父が、訴訟を起こしたからであった。アルテミジアは、法廷では根掘り葉掘り、私生活や身体のことを公に尋ねられ、今でいうセカンド・レイプにも耐えねばならなかった。
そのような女性としての自身の悲劇が、歴史(聖書)の中のヒロインと重ね合わさって、「男成敗」のエネルギーを沸騰させることになったのは間違いなかろう。確かに、アルテミジアの絵は、刀を敵将の首に当て、血が噴き出た、まさしく殺害の瞬間そのものを描いており、その生々しさ、迫真性は、突出している。画家自身の胸中に復讐の熱い血がたぎればこそ、こうした劇的な表現が可能になったかと思われる。
しかし同時に、画家が女流で、しかも性被害を体験した女性であったことから、この絵がことさらに世の注目を浴びることになったという一面も否定できまい。女が女を描くことが、そのようなコンテクストで理解され、衝撃とともに受容された時代だったのである。そこには、男社会に於ける男目線の歪みも、加わっていたであろう。
とはいえ、アルテミジアは、性被害で名を売るような「二流」では決してなく、画家としての確かな実力を備え、ギリシャ神話のダナエや、ディアナなど、女性像を多く描いた。
ローマに生まれ、その後フィレンツェやナポリなどで活躍したが、フィレンツェ時代には、女性として初めて美術アカデミーの会員にも就いている。女性であるがゆえに受けた悲劇を、女性としての先駆的な活躍へと、転化したものだったに違いない
話をボローニャの女流画家、エリザベッタ・シラーニに戻そう。「男成敗」の絵ばかりでなく、エリザベッタは多くの女性の絵を描いた。その中でも、私にとって忘れがたいのは、『改悛するマグダラのマリア』(1663 ブザンソン美術・考古学博物館)という作品である。
うねるような長く豊かな金髪、手元に置かれた髑髏などは、マグダラのマリアを描く際の「決まり事」であり、遠景にキリストの磔刑が望まれるのも、イエスの処刑に立ち会ったという故事を踏まえての演出である。伝統や慣習を踏まえた上で構成された絵には違いないのだが、男性画家の描くマグダラのマリアとは、やはりひと味もふた味も違うのである。どこがどう違うのか――?
マグダラのマリアが「改悛する」というのは、快楽主義的で自堕落だった前半生(娼婦であったも言われる)を悔い、信仰第一の敬虔な教徒として新たな生を生きることを決した(洞窟で瞑想生活に入ったという)ことを意味するが、「改悛」という心の一大ドラマをどのように描くかが肝心要のポイント、画家の腕の見せどころとなる。
かつまた、もとは美貌を男たちの視線の前に晒して人気を博した女性という設定なゆえに、胸をはだけ肉体美を見せるなど、官能性が強調されるのもしばしばである。男性画家にとっては、ゴージャスな女性の肉体を晴れて宗教画の中に描きこめる希少なテーマでもあったのだ。
だが、エリザベッタ・シラーニの手になるマグダラのマリアは、そうした男の視線からは独立したところで描かれている。白い肌を晒しはする。しかし、乳房の表現を含め、むしろ控えめだ。豊満な肉体美やエロスを描こうとする姿勢とは真逆の眼差しだと思う。その肉体は、現実生活の中で辛酸を舐め尽し、苦しみや悲しみを知り尽くした女の肉体なのである。その意味では、この肉体は、極めて精神的な存在と言える。
この絵で最も印象的なのは、恍惚とした女の表情であろうが、これは性的なそれではなく、顔半分を蔽う影に象徴されるが如く、辛酸を舐めつくした肉体が、今ようやくにして、苦痛の呪縛から解かれるさまを表現している。
疲弊し、傷つき果てた絶望の淵に沈んでいたひとりの女性が、キリストの愛によって清められ、救われた。その人間としての女性の救済を、女流画家が、共感をこめたやさしい眼差しで見つめているのだ。
雷に打たれでもしたように、劇的に訪れた宗教的法悦というよりも、苦難の果ての救済の安堵が色濃く漂う、エリザベッタのマグダラのマリアなのである。
ボローニャが女性の社会進出に寛容であったことは前にも述べたが、ルネサンス時代、この町では能力のある女性は、いかなる職業にも就く自由を与えられていたという。そのような地域性を背景にエリザベッタ・シラーニが活躍したわけだが、彼女に先立つこと約半世紀、同じボローニャで先駆者として活躍したひとりの女流画家がいた。
ラヴィニア・フォンターナ(1552~1614)――、美術史上初めてとなる女性の職業画家だったと言われる。肖像画を中心に、多くの絵を描いたが、なかには、裸体の登場する絵も存在する。女性が描いた初の女性ヌードになる。
『服を着るミネルヴァ』(1613 ボルゲーゼ美術館)は、そうしたラヴィニアによる女性ヌードの代表格。ミネルヴァはローマ神話における軍神だが、なるほど、裸体の女性の足元には武具が置かれているものの、それを除けば、美しい女性の裸身像に他ならない。斜め後ろを振り向いた彼女の表情も印象的で、流し目が魅惑的だ。
当時は、女性は人間の裸体を観察などしてはいけないとされ、人体の解剖にも立ち合いが許されなかった時代である。そういう事情を知れば、この絵がいかに先進的な作であったかがわかる。
ラヴィニアは25歳の時に結婚したが、求婚された際の条件が、絵を続けることであったという。相手も絵を描く人間だったが、この条件を吞み、更には、結婚後はラヴィニアが家計のメインを担い、夫は彼女のアシストに徹した。才能の差が顕著だったのだろうが、カップルの在り方としても、時代を飛びぬけ、今日的で興味深い。
さて、このラヴィニア・フォンターナの作品が、しかもとびきりのユニークな絵が、日本に存在する。2024年、国立西洋美術館が購入した『アントニエッタ・ゴンザレスの肖像』(1595?)――。一見してわかる通り、多毛症の少女を描いた作品である。
少女・アントニエッタの父・ペドロは、カナリア諸島に生まれ育ったが、多毛症であったが故に、大西洋を越えてパリにつれてこられた。宮廷につかえ、フランス女性と結婚し、多くの子をなすが、そのうち何人かが多毛症だった。アントニエッタはそのうちのひとりである。
珍奇なものを愛玩する貴族趣味から、アントニエッタはヨーロッパの上流階級の間でもてはやされ、パリ、ブリュッセルなどの宮廷を経て、最終的にはパルマの貴族のもとに落ち着く。
この絵は、彼女がボローニャを訪問した折に描かれたものらしいが、画面の中の少女が手にした紙には、自身の数奇な来歴が記されている。そういう、一面では、猟奇趣味や差別につながりかねない複雑な事情のなかに描かれた作品ではあるのだが、この作品の貴重なところは、時代や社会が抱えた蔑視の負の感情を超えて、人間的で、真摯な何かを訴えているところにある。
技術的には、絹やベルベットの衣装の描写の確かさも見るべきポイントになろうが、それ以上に、少女のつぶらな瞳から鼻、口、そしてそこには毛のない手が放つ印象が、忘れがたい。
哀願するでもない、告発するでもない、しかし間違いなく、そこには数奇な運命、宿命を背負わされたひとりの人間の真情が息づいている。このリアリティは、作者が女性であり、描く対象が少女であるという女としての共感が生んだものではなかったろうか。
仮にもし、男の宮廷画家で、貴族趣味をのみ重宝するような職業画家が、この世にも珍しい外見の少女を描いたならば、全く違った趣の絵になったように思う。どれほどリアリスティックに描く技術を持ち合わせようと、その手によって活写され、強調されるのは「異形」であって、エキゾチックな「標本」と化した可能性が高かろう。
だが、ラヴィニア・フォンターナの絵は、「標本」とは次元を異にする。女流なればこそ、そしてボローニャという女流に理解のある土地柄だった故に描き得た、類まれな人間の絵画だったのである。
素材の希少性に注目が集まりがちだが、女性による女性の絵画の本質を語る貴重な作品として、『アントニエッタ・ゴンザレスの肖像』は忘れてはならない作品なのである。