タイトル

第44回 表

史上最強の美しい男  ダ・ヴィンチ『洗礼者聖ヨハネ』

作家 多胡吉郎

 日頃地方に暮しているので、都心に出ると さまざまな衝撃が出迎える。そのうちのひとつが、ど派手なアドトラック(宣伝カー)だ。 とりわけ、美しい男たちの写真をでかでかと 飾ったホスト系のトラックが繁華街を抜けて 行くさまを見ると、祭りの神事に練り歩く山 車を目の当たりにするような気になる。それ はもはや、現代の神々の行進に他ならない。
 そんなことを考えていたら、この絵を思い 出した。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 〜1519)の『洗礼者聖ヨハネ』――。私 見では、史上最強の美男の像になる。アドト ラックの写真の筆頭にこの絵が飾られたなら、 他のイケメンどもはたちまち霞んでしまうこ とだろう。
 タイトルに「洗礼者」と付いているのは、 イエスの弟子の使徒ヨハネと区別するためで、 荒野で修行を積み、ヨルダン川で人々に洗礼 を授けたとされる。イエスもこの人から洗礼 を受けたという。「バプテスマのヨハネ」と も呼ばれる。
 洗礼者ヨハネは「ラクダの皮衣をまとい、皮の腰帯をしめ、イナゴマメと野蜜を食していた」と伝わる(『マタイによる福音書』)。それを踏まえ、ダ・ヴィンチのこの絵でも、毛皮を身にまとい、左手に十字架の杖を携えている。右手を上に向け立てているのは、救世主は天上にいて、やがて地に降りてくるとの予言を意味する。
 そういう、人物を特定する決まり事を一応は守りつつ、ダ・ヴィンチが仕掛けた大胆さには驚愕するしかない。髪、肌、目つき、瞳、口元……、ともかくも、美しすぎる。荒野に起臥を重ねた修行者の土臭さよりも、都会のエステにでも通って磨き上げたような優美な美しさに輝く。
 その表情も、聖者とだけでは語りきれない、生々しい押し出しの強さがある。微笑みは色気に満ち、謎めいた妖気さえ漂わせて、忘れ得ぬ強烈な印象を放つ。手を上に向けているのも、宗教上の理屈を超えて、セクシーなオーラをまとう。女性を相手に、「ナイス!」とか「ビンゴ!」などと応じつつ、派手なジェスチャーとともにふたりの関係を決定的なものにしてしまう。こんな男に言い寄られたら、どんな女も落ちてしまうだろう。つまりは、キリスト教が説く本来の姿に比べ、とんでもなくエロティックなのだ。
 フィレンツェのルネサンス期を代表する画家だったダ・ヴィンチは、最晩年の3カ年、フランソワ1世の招きに応じてフランスのアンボワーズに暮した。その地で亡くなるまで、手元に置いていた作品が3点あったというが、そのうちのひとつがこの『洗礼者聖ヨハネ』だった(他は『モナ・リザ』と『聖アンナと聖母子』)。
 最新の研究によれば、1508年から19年にかけて製作され、完成作としては最後の作品とされる。ダ・ヴィンチの開発したスフマート技法(微妙な陰影のぼかし技法)も円熟の境地に達し、闇から浮かび上がるような肉体の美肌を柔らかく見せている。
 何故これほどまでに色っぽいのかについては、ダ・ヴィンチが実は同性愛者で、その相手であった30歳ほど年下の弟子・カプロッティ(サライ)をモデルにしたからだとの説もある。確かに、ダ・ヴィンチが残した膨大なスケッチのなかには、ヨハネ像と同じ巻き毛のサライを描いたものがいくつもある。
 生涯結婚せず、子供もいなかったダ・ヴィンチだが、同性愛だけをもってしては、この絵の謎は語りきれまい。その筆は、方程式を解くようなわりきりのよさを超えている。スケッチのなかのサライは、ヨハネの絵のような強烈な謎の微笑を湛えてなどいないのだ。
 より説得力に富むのは、この絵が、両性具有(アンドロギュヌス)こそが完璧だとするギリシャ以来の伝統的美意識を引き継いでいるとする見方である。キリスト教から見れば異端になるが、タブーの陰で脈々と生き続けたものらしい。
 ところで、古今東西の絵画に描かれた、このヨハネ像に匹敵する、強烈で謎めいた微笑をもつ女性は誰であろうか? 答えはひとつしかない。それは『モナ・リザ』――。やはり、ダ・ヴィンチの作だ。『モナ・リザ』も、永遠の謎の微笑を浮かべつつ、どこか両性具有的である。『洗礼者聖ヨハネ』と『モナ・リザ』が、最後の最後まで画家の手許にあったというのも、いかにも象徴的だ。
 ダ・ヴィンチは、男女の性差を超えた、美の統合を模索していたのかもしれない。