彼の描く絵は、いつもぎらぎらしている。風景であれ、ヒマワリの花のような静物であれ、自身を含む肖像であれ、きまってその絵はぎらぎらと燃え、強烈な生命力を放つ。炎の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。
ぎらぎらを生む正体は、彼の魂が抱えた「求道性」が色やフォルムにたぎるからである。真実を求めてやまないそのひたむきさ、息もつまるほどの一途さが画面からほとばしり、誰にも真似のできない独自のオーラを発している。
ゴッホは大正時代に日本に初めて紹介されて以来、この国ではとりわけ愛されてきた画家だ。生前には全く絵が売れず(実際には一枚だけ売れたというが)、世に認められぬままおのれの信じる絵だけを描き続けたという苦行僧さながらの生き方も、日本人の感性からすると、心の琴線に触れ、胸をきりきりと締めあげてやまない。
かく言う私も、若き日には大いにこの人の絵に惹かれた。もっとも、その後短くはない時が過ぎ、ひたむきな一途さに憧れるだけでは、さすがに人生が成り立たなくなった。妥協とともに日を重ねる中で、ゴッホへの熱は次第に遠のいた。「ぎらぎら」に疲れたのかもしれなかった。だが50歳が近づいた頃、新たなゴッホへの眼差しを開かされ、憧れを回復した。
きっかけは、ロンドンの路地裏の古道具屋のような店で買った、一枚のゴッホのポスタープリントだった。安アパートの殺風景な部屋に飾ることになったその絵が、「夜のカフェテラス」だった。眩しすぎる傑作群に埋没し、それまで注目したことがなかったこの絵によって、私は新たなゴッホの魅力を知るところとなった。ゴッホの描く夜空の星々――星空を見上げるゴッホの魅力である。
「夜のカフェテラス」に描かれたカフェは、南仏の町アルルの中心部、フォルム広場にあった。ゴッホは実際にイーゼルをこの広場に構えたと伝えられる。今も当時に変わらぬ風景が残っているので、ゴッホの聖地めぐりのようにして訪れる人も多い。
絵の中のカフェにはテラスに憩う人々がおり、給仕や、広場を歩く人々もいる。だが、人々はうたかたを生きる影法師のようでもあり、街のにぎわいが沈黙に塗り込められてしまった静止画のようにも感じられる。その代わり、とでも言うように、無言のうちにもひときわ豊饒に、生き生きと輝いているのが夜空の星々である。カフェの人々に目を奪われがちだが、星々の雄弁さに気づけば、この絵の主役がまぎれもなく夜空だと知ることだろう。
ゴッホは、明るい色彩を求めてアルルに移ってきた。昼の間は燦々とした陽光のもと、めくるめく色彩を追い続けたことだろう。色を突き詰めようと、とことん光を追求したはずだ。ぎらぎらの先に、更にぎらぎらを求めるように……。だが夜になると、潮が引くように昼のぎらぎらが矛を収め、代わって豊饒の夜空がやさしくゴッホを包んだ。絵の中の瞬く星々は輝きが強調されていても、ぎらぎらとはしていない。夜の生命力は、しなやかにのびのびとひろがり、息をし輝いて、しじまの中に大いなる慰藉を与えてくれる。
やはりアルルで描かれた「ローヌ河畔の星空」もまた、やさしくも幻想的で、豊饒な夜空の魅力の尽きない絵だ。川面に揺れる船灯りと相まって、大空に横たわる星々の輝きは、孤独な心を照らすページェント(祝祭劇)のようだ。
ピカソ・ファンの中には、特に青の時代のピカソを好む人がいる。キュービズムや前衛手法に移る前の、甘くやさしい、どこかせつなくもあるその世界に魅せられるのだろう。同じように、今の私は炎の画家が描く静謐で豊饒の星空に惹かれてやまないのである。浄夜が湛える真実の光に抱擁され、祝福を与えられたいと願うのだ。
夜空を描いたゴッホの作品が、もうひとつある。「星月夜」――。先の2点の星空の絵から、1年後に描かれた。ゴッホ以外の誰にも描けない渾身の傑作である。だが、この絵からは胸を抉られるような痛みを覚えてしかたない。月も星々も、風までがぐるぐると渦を巻き、尋常ならざる姿に妖しく輝いている。大いなる慰藉は退き、今や夜空の星々までが、ぎらぎらになってしまった。
「ゴッホはん、きついんとちゃうかなあ……」――大阪人でもないのに、何故か関西弁が口を突いて出る。ゴッホの自死はそれから1年後のこと。この間、「オーヴェールの教会」を始め、最晩年の傑作をいくつも生んだゴッホだったが、夜空を見上げ絵筆をとることは2度となかった。