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第47回 表

記憶のモザイク。ドガの描いたオペラ座

作家 多胡吉郎

 ドガという名は、バレエとは切っても切れないものとして、世に定着している。チュチュをまとう白い妖精のような若い女性たちが、ステージに稽古場に舞い、あるいはプライベートなひと時にくつろぐ姿は、あまりにもドガ的な光景として、一目見るなり、その作者が誰であるかが知れる。印象派のなかにあって、睡蓮といえばモネであるのと同様、バレエといえばドガの代名詞、他の画家を寄せつけない独壇場の世界を築き上げた。
 ここに紹介する『リハーサル』(バレル・コレクション所蔵)という絵も、いかにものドガの世界。花の都・パリのオペラ座の稽古場の雰囲気を伝えて、夢のような幻惑に誘い込む。
 パリのオペラ座といえば、シャガールの天井画のあるガルニエ宮が有名だが、ドガがこの絵で描いたのは、ル・ペルティエ街にあった前のオペラ座のほう。1821年に創建され、約1800席を有するヨーロッパ最大級の劇場として、『ジゼル』の初演など数々の名舞台を繰り広げてきたが、惜しくも1873年に焼失した。
 ドガは裕福な銀行家の息子で、オペラ座の会員であり、その特権として、稽古場への出入りが許された。頻繁にオペラ座に通っては、スケッチを繰り返していたのである。
 そこまでは、ドガを語る上での通念である。多くの人が、この絵を始めとするドガの稽古場やステージでの踊子たちの絵を、あたかも目前で繰り広げられるさまをそのままに絵にしたかのように思いこんでいる。
 だがこの絵には、ドガの本質を語る微妙な問題が秘められている。この絵が描かれたのは、1874年頃。つまり、ル・ペルティエ街のオペラ座の焼失後なのだ。「つわものどもが夢の跡」ではないが、ドガは既にこの世にはない往年の舞台に思いを馳せ、そこでの夢を心に蘇らせるようにして、絵を描いたのである。
 さらに言えば、この絵に描かれた光景は、写真機で撮ったスナップショットのような、オペラ座稽古場での現実の一景でもない。ドガの記憶に残る光景を、いくつも重ねながら、コンポジションを構成するように組み立ててみせたものなのである。
 画面中央奥、黄色いリボンの少女とピンクのリボンの少女は、片足で立ち、もう片方の足を後方に上げて伸ばす「アラベスク」というバレエのポーズを稽古している。現場を観察した者でなければ描き得ない光景ではあるが、画面手前で腰掛ける少女や、その横で衣装を後ろから直してもらっている少女などと、同じ瞬間にその場に存在していたわけではない。
 現実を超えた造形を象徴するのは、右奥の赤シャツの男の存在である(著名な振付師のジュール・ペローとされる)。現実の写実で言うなら、男の立つ位置には、柱がなければならなかった。現に、同じ稽古場を反対側(上手側)から描いた『ダンスリハーサル』(1870~72 フィリップス・コレクション)では、稽古場の縦方向に円柱が立ち並ぶ様子が明確に描かれている。バレル・コレクションの『リハーサル』では、柱を取り払い、そこにドガは名物振付師を立たせたのである。
 ドガのバレエ、劇場の作品というと、画面端にちらりと見えるパトロンの姿をとらえて、踊子たちの社会的地位の低さを訴え、紳士然としたパトロンの偽善性を暴いたものとする論を目にすることが多いが、印象派の指導者・マネ譲りの社会派らしい視点では見えてこない、記憶の再生、再構築というもうひとつのドガの特徴を私は大事にしたい。
 現場でのスケッチから、絵画作品として完成させていく過程で、記憶は磨かれ、画家本人の心の光景に昇華されてゆく。ドガの筆になる踊子たちが身にまとうチュチュの白い衣装は、光の中にゆらめき、動きの尾を引いて、夢幻の妙味を醸し出す。
 その絵が、失われた夢の跡を永遠ならしめる記憶のモザイクであることを知れば、いとおしげな夢幻の美に薫り立つのも当然のように思えてくるのである。