タイトル

第41回 表

幻想の密林ジャングル、アンリ・ルソーの緑の夢

作家 多胡吉郎

 この春、裸木が芽を吹き、新緑が日に日に緑を濃くして樹木全体に繁茂するまで、こまめに観察を続けた。部屋の窓から、枝を広げる欅の木がよく見えるのである。いつもの春より熱心に緑を見続けたのは、コロナ禍による心の落ちこみがあって、自然の息吹を確認したかったからだろう。
 それゆえ、緑がたいそう目に染みた。ひときわみずみずしく、妙な表現になるが、緑がカンフル注射でもされたように鮮やかに目に映った。そして、この人の絵を思い出した。アンリ・ルソー(1844〜1910)の描く密林ジャングル――
 その個性は、平面的な描写、原色の色使いなど、あまりにも顕著である。世界のどこの美術館でも、この人の描く密林に出会えば、すぐにもルソーであるとわかる。決して、リアリズムを重んじた密林ではない。多様な植物がフォルムも質感も単純化され、要所に動物も加えられ、思うままに配列されて、幻想味に富んだ独特の宇宙を形成する。
 ルソーの緑もまた、常ならぬ緑である。つくりあげた夢の中の自然が抱える、ことさらな緑である。19世紀後半から20世紀初を生きたこの人のどのような心から、かくも不思議な緑は生まれたのだろうか――?
 ルソーはきちんとした美術の教育を受けなかった。高校中退後、軍務を経て、パリ税関に勤め口を得、22年にわたってそこに勤務した。
 画業は全くの我流で、職務の合間に絵を描く「日曜画家」だった。ルソーのスタイルを「素朴派」と形容することがあるが、これは正規の美術教育を受けていないことへの揶揄を含む。生前、ルソーの絵は稚拙であるとして、美術界ではまともに評価されなかった。
 1893年には税関をやめ、画業一筋で立つことになったが、少数の例外者を除き、彼の画風への一般的認識は変わらなかった。独自の画業が時代を超えた天才の仕事だったとの評価が定まるのは、20世紀、彼の死後のことである。
 ルソーには25点ほどの密林の絵がある。面白いのは、一度もフランスから出たことがないにもかかわらず、熱帯の密林にこだわり続けたことである。実は、ルソーの描く密林の母胎は、パリの植物園にできた温室だった。ヨーロッパの19世紀は鉄とガラスの時代であり、多くの都市でガラス張りの大温室が誕生し、プラントハンターが収集した熱帯の珍しい植物が集められ、育てられた。
 パリでも1836年に植物園に初めてガラス張りの温室が完成し、1889年には大温室が追加造成された。植物研究の場に留まらず、一般開放もされて、大衆の憧れやエギゾティズムを刺激する都市生活の花形のようになった。
「植物園のガラス温室を訪ね、世界の珍しい植物を見ると、夢の中にいざわなれるような気がする」――。フランスから出たこともないルソーは、経済的、生活上の制約から「鎖国」を続け、閉ざされた中に生を重ねた。しかし、その反動のように、豊かな幻想が世界の果ての密林の中で花を咲かせたのだった。
 自由で、孤独で、鮮烈な色彩とむせかえる薫りに溢れ、神秘的で、放恣な生殖(エロス)に満ち、豊穣にして残酷、野性の生命いのちがしめやかに息づく、そのような濃密なジャングルに、彼の幻想は彷徨を重ねたのである。
『夢』(1910)は、ルソーが亡くなる数か月前に仕上げた作品だが、幻想の密林を描き続けた画家の集大成となるものだ。葉を広げ、或いは刀のように尖らせる熱帯の植物。 色鮮やかな蓮の花、オレンジの実。鳥、ライオン、象、猿、蛇……。密林の夜のカーニヴァルを思わせる。そこに登場するヌードの白人女性。笛を吹く謎めいた現地女性……。
 ルソー本人の解説風の詩がある。「美しい夢の中のヤドヴィガは やさしい眠りに落ち 善意の蛇使いが奏でる 笛の音が聞こえる。 月が川(または花)や樹に映るにつれ 野生の蛇は 楽の音に耳を傾ける」――
 ヤドヴィガは若き日のポーランド人の恋人だとされるが、よくわからない。幻想の女神かもしれない。都会の家にあるべきソファが裸身とともに密林に置かれているのが意味深長だ。パリと密林の橋渡しをする鍵となっている。
 夜の夢の中で、パリを席巻する熱帯の密林の生命……。アカデミズムからこぼれ落ちた異端児・ルソーだからこそできた、妖しき反逆の凱歌だったような気がする。