「ああ、イギリスだ」……。会場に足を踏み入れるなり、胸の焼けるような郷愁を覚えた。ひとしきり続いた火照りが退くと、今度は穏やかな心地よさが胸を浸した。これもまた、イギリスを思い出させた。絵画に描かれているのは、どれも太平洋の島々や南半球に育つ植物なのだが、私は間違いなくそこにイギリスを、イギリスの目と心を感じてならなかった。
昨年12月末からこの3月までBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた「バンクス花譜集」の展覧会を訪ねた時のことである。バンクス花譜集とは、18世紀後半、キャプテン・クックの第1回探検航海に同行した植物学者のジョセフ・バンクスが、現地で採取した草花を同僚の絵師シドニー・パーキンソンに描かせた絵画をまとめたものである。
3年に及ぶ大航海であった。タヒチ島を中心とするソサエティアイランド群島から、ニュージーランド、オーストラリアを経てジャワ島に至る迄、航路の途次に彼らが目にした植物は、故国イギリスにはない珍しいものばかりだった。だがそれでいて、それらの植物を描いた絵画の筆致や色使い、そして何よりも貴重な植物に向き合う眼差しと心映えは、私がイギリスで慣れ親しんだ植物画=ボタニカル・アートそのものなのである。
イギリス人の田園好きはつとに知られる。第2次世界大戦を勝利に導いた大宰相チャーチルでさえ、引退後は憧れの田園生活に入り、田園風景を絵筆に納める日々を送った。イギリスがガーデニング大国であるのも根はひとつ。要は田園、そして植物が好きなのだ。
ロンドンにキューガーデンという王立植物園がある。初めてここを訪れた際にボランティア・ガイドの女性の案内を受けたのだが、野外に育つ樹木から温室内の熱帯植物に至るまで、まるで人生の同伴者に対するような愛情溢れる言葉と態度で語ってくれたのが印象的だった。花を愛で、草木を慈しむことが、生きることそのものに溶け込んでいる。
この植物偏重は、当然にしてアートの世界にも及ぶ。イギリスに暮らした10年間、ロンドンでも地方でも多くの宿に世話になったが、部屋や廊下に飾られた絵画の最も多くが植物画であった。額の中の緑が、平穏に、静謐に、心をゆるりとくつろがせてくれる。イギリスは世界に冠たるビジネス大国でもあったので、生き馬の目を抜く式の利の敏さが跋扈する社会でもある。だが昼の間、苛烈な商取引に揉みしだかれた心と体に、夜、家や宿に戻れば植物画が癒しを与えてくれる。ひょっとすると、敬虔なクリスチャンが寝る前に聖書を開くのと共通するものがあるかもしれない。一日の終わりに、人を生の根本へと立ちかえさせる。植物画に息づく小さな命への共感が、猛る心を鎮めるのだ。
可憐な花はもとより、葉の形や模様、茎のしなりから蔓の巻き加減、枝の伸び具合、根の張りよう、種のつき方に至るまで、植物画はひとつひとつの植物の個性を丁寧に描く。一木一草の命の輝きを見つめる描き手の驚きや喜びが透けて見える。
実を言うと「バンクス花譜集」の展覧会に出向く際、私はそこに展示されたものが記録なのかアートなのか、わりきれない気持ちを抱えていた。会場でもアートという表現を微妙に避けている感があった。だが多くの植物画を前にして感じたのは、やはりアートの香りだった。癒しにつながる目と心が筆を運ばせている。つつましくもささやかな命と息を合わせる愛がこだましている。南洋の珍しい植物を知識、情報として知るだけでなく、地球という星に息づく命のハーモニーを聴くように思った。
「自然とともに生きるアボリジニーの暮らしは、産業革命下に慌ただしく生きるヨーロッパ人と較べて遥かに幸せだ」――探検航海を率いたクックの言葉だが、ここには植物画の真髄に迫る何かが込められている。故国では近代を開く産業革命が既に始まっている。無論それは世界の先頭を走る大英帝国の栄光なのだが、騒ぎに巻き込まれた人々のストレスについても、既に意識されていたのだ。国家的意志を体現して世界の海へ航海に出たクックという人も、この点、間違いなく時代の陰画を背負っている。
クックと一行が地球を周った先に発見した「幸せ」は、植物画=ボタニカル・アートが宿す命の輝きでもある。時代や社会の陰画が濃くなればなるほど、それは人の心に瑞々しい命の泉を吹きこんでくれる。産業革命期に比べて比較にならぬほどに過度のストレス社会である現代、植物画はますますその意義を大きくし、人々の心を潤すアートとして輝くことになるだろう。
ほとんどがヨーロッパに渡ってしまった川原慶賀の絵を見るには、どうすればよいのか……。幸いにもデジタル時代になって、距離を隔てながらも絵画にアクセスすることが可能になった。とりわけ長崎歴史文化博物館が立ち上げたサイトで、ライデン国立民族学博物館の所蔵になる慶賀の絵が見られるようになったのは嬉しい限りだ。
このサイトでは風俗画や動物画など、多様な慶賀の絵が鑑賞できる。出島のオランダ商館の様子を描いた「唐蘭館絵巻」は、特殊な風俗が知られ、西洋画風の味わいも面白いが、絵としてのみ見れば物足らなさも残る。「(日本)人の一生」というシリーズもしかりで、当時の人生模様を覗きからくりのような多彩さで見せもし、また処々に窺うことのできる遠近法の影響にも興味を引かれるが、絵そのものが感動を呼ぶようなものではない。風俗画における慶賀の作品は、歴史資料としての価値は高かろうが、アートとして見れば「並み」の印象を脱しきれない気がする。
だが、こと植物画に限っては、西洋のボタニカル・アートに引けを取らない。先に引用した『江戸参府紀行』の一文を見れば明らかなように、シーボルトははっきりと慶賀のその道における才能を見抜いていた。シーボルトはバタビアからデ・フィレニューフェという絵心のある男(専門の画家ではなかったという)を呼び寄せていたので、初めはその指導を受けたかもしれないが、植物画における慶賀の才能はじきにこの半端な「師匠」をたやすく乗り越えてしまったのだと思われる。
長崎歴史文化博物館のサイトでは、450点を超す慶賀の植物画が鑑賞できるが、ひとつひとつの可憐な命の息づきに、ため息が出る。
ハマナデシコの絵は、細い茎がすっくと立ち、その先に咲く一輪の赤い花の重みゆえか、頭を少し左にかしげている。笹舟のような葉が茎を挟んで生えるさまが、両の腕(かいな)を広げたようで微笑ましい。扇形の花弁を重ねた紅色の花はいかにも可憐だが、花弁の先に刻まれたのこぎりの刃のようなぎざぎざが個性を放っている。初々しくやさしげな娘の微笑みに、やんちゃな険が差したとでもいおうか……。
興味深いのは、艶やかな花の少し下に、先端を赤く滲ませ、ほどなく開こうかという蕾が配されていることだ。観察の賜物には違いないが、植物の成長過程を意識せずにはありえない構図だ。日本にも本草学の伝統はあったが、この絵を支える目と筆は、西洋の植物学に近いように思う。シーボルトの影響は明らかであろう。
キンポウゲの絵にも、そうした植物学的意識が透けて見える。茎の先に開く黄色い花は2輪。1輪は全体がわかるよう正面から描くが、もうひとつは敢て裏側から描いている。そして花以上に印象的なのが、ギザギザに富んだ広い葉だ。葉の形、広げ方、葉脈の走り具合、緑の濃淡など、葉の表情はいきいきとして瑞々しい。
それにしても、いずれの絵も少しも殊更でないにもかかわらず、何とも充足を感じさせる。植物画として過不足ない世界が自立している。シンプルながら、全く見飽きない。目前の対象を、一歩引いたところから虚心に見つめているのが心地よい。
一見、宗教的教理に縛られて見える中世の絵が、時にルネサンス絵画以上に心を和ませ、癒しを与えることがあるが、それと同じ理屈で、ひょっとすると、自我の勝った多くの泰西名画よりも、慶賀の植物画は21世紀の今日的な精神美学を有しているのかもしれない。