デュフィの両親がアマチュア音楽家であったことは前に記した。父は教会でオルガンを弾き、指揮もした。母はヴァイオリン奏者だった。両親だけでない。デュフィの兄弟のうち、2人がプロの音楽家になっている。デュフィ自身も趣味としてはヴァイオリンを弾いた。
だが、今ここで書こうとするのは、そういう家庭環境としてのデュフィと音楽ではない。デュフィこそは、真に音楽を描いた、描こうとした画家だと信じるからなのである。
例えば、ルノワールはピアノを弾く少女を描いた。だがそれは、あくまでも、ピアノをたしなむ少女そのものに関心があったのである。
音楽の都ウィーンの画家クリムトに、ベートーヴェン・フリーズという壁画があるが、苦悩から歓喜へという第9交響曲のテーマを、クリムト流の愛の勝利に置き換えて描いたものであった。ここでは、ベートーヴェンが抱えたメッセージ的テーマが軸となった。
だがデュフィは既存の画家たちとはおよそ異なるアプローチで音楽に迫ろうとした。あるいは、音楽を自身の絵画に取り込もうとした。
デュフィの絵画からは音楽が聴こえてくるようだとは、しばしば語られることだが、画家自身の意識に於いては、そのレベルではなかった。音楽は、まさに画家としての芸術活動の主軸だったのである。
そのなかで、生涯にわたって彼の心をとらえた音楽家はモーツァルトだった。なるほど、生の歓びに満ちたデュフィの画風は、モーツァルトの音楽とはいかにも気脈を通じたもののように感じる。モーツァルトをテーマに、生涯10数点の作品を描いたとされる。
『モーツァルトへ捧ぐ』(モーツァルトへのオマージュ)というタイトルを賦与した作品も何度か手がけているが、まずはごく初期の、1915年頃に描かれた絵を見てみよう。アメリカのオルブライト・ノックス美術館の所蔵になるものだ。
一見してわかるように、ピアノの上に、ヴァイオリンとモーツァルトの胸像が置かれている。背景には楽譜も配され、全体としてキュビズムの影響が強い。色彩的にも、赤や青の他、いくつもの色が組み合わされている。
下積みの長かったデュフィは、若い頃には、印象主義、フォービズム、キュビズムなど、さまざまな既存の主義に影響を受けた。
この絵も、まだ「色彩の魔術師」と呼ばれる以前の画風の作品なわけだが、その頃から音楽はデュフィにとっての大きな関心の対象で、とりわけモーツァルトへの傾倒は明らかであった。
みずみずしい生の力に溢れた多様なメロディーやリズム、音の万華鏡世界を、ピアノソナタからオペラまで大胆かつ華麗に繰り広げたモーツァルトだったが、この絵の中心にいるモーツァルト像の涼しげにしてちょっと淋しげな、透明な憂いを湛えた表情は忘れがたい。
似た時期に描かれた同工異曲のバージョン違いの絵(そのうちのひとつは日本の大谷コレクションにある)では、胸像に作曲者名は刻まれていないが、このオルブライト・ノックス版では「MOZART」の文字が書き込まれている。それがまた、世界の隅々、多くの家庭に浸透したミニチュア胸像を想起させ、万人に愛される「楽聖」のイメージを強くする。だが、その福音の生みの主は、栄光の裏返しのように深い孤独を抱えていたのだ。
詩人のアポリネールは、早くからデュフィの才能に瞠目し、「不遇にして、偉大なる画家」と評した。この初期のデュフィのモーツァルト讃には、そういう自己の世に認められない不遇を天才音楽家の孤独に重ねている節がなくもない。
さて、初期にはそのようなモーツァルトを描いていたデュフィが、その後、どのように変わったか──?
一気に35年ほどの歳月を越え、1951年作の『モーツァルトに捧ぐ』を見よう。既に70代、デュフィ最晩年の作品のひとつになる。
ピアノの上にモーツァルトの名前を大書した楽譜が置かれている。背景に展開する壁にあしらわれた草花の模様、右手の花瓶(絵の中の花瓶か)など、もともとは様々な色を呈していたに違いないのだが、デュフィは白色の楽譜を除くすべてを、青のグラデーションで表現している。
1951年から52年にかけて、同じテーマと構図で多くのリトグラフがつくられたようだが、色遣いのディテールには、若干のばらつきはあるものの、青の墨絵のような仕上がりは変わりない。
ここでは明らかに、青という色彩が、モーツァルトの音楽の真髄を絵画的にとらえ、表現しようとしている。その音楽がたたえる情感──、歓び、哀しみ、自由、憧れ、郷愁、孤独、死の予感……その他、モーツァルトの世界のすべてを、デュフィは青に重ねているのだ。
何故青なのか? もっと暖色系の色でもよいのではないのか──? ここでは、デュフィ独自の色彩感とモーツァルト観が、それぞれの頂点のような高次元において交わり、ひとつに融合している。
確かに、例えばピアノ協奏曲第20番の2楽章のような曲──あの映画『アマデウス』のラストのタイトル・ロールに流れた曲──は、諸々を削ぎ落したように徹底してシンプルで、深く澄みきって、あたかも秋の青空を見上げた時のような気分にさせられる。なるほど、これならば、デュフィが青に塗ったのも納得である。
面白いのは、全く同じ構図で、ピアノの上の楽譜に大書された作曲者名が「クロード・ドビュッシー」に替えられただけの作品が存在することだ。『ドビュッシーに捧ぐ(ドビュッシーへのオマージュ)』──1952年の作、マルロー美術館やニース美術館が所蔵するなど、やはりいくつかのバージョンがある。
ここでは、黄色と緑を基調に多様な色が使われている。モーツァルトの青に対して、ドビュッシーのこの色遣いは何を意味するのだろうか?
更に、デュフィには、バッハに捧げた作品も存在する。『バッハに捧ぐ』(1952 ポンピドー・センター所蔵)──。
背景となる奥の壁紙の模様も右手の花瓶の絵も、モーツァルトやドビュッシーと同じだが、手前にはピアノではなく、テーブルの上にヴァイオリンが置かれ、楽譜が立てかけられている。ここでは青や緑も一部使われてはいるものの、圧倒的に赤系統の色が多い。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタやパルティータ(パルティータ第2番の中の『シャコンヌ』はつとに有名だ!)を聴くと、音楽が、魂というか、肉体存在の核──血と骨にじかに響き訴えかけてくる感じを強くもつ。そのような赤色だったのであろうか──?
ほぼ同じ構図の中に、音楽を色分けした最晩年のデュフィv。「色彩の魔術師」が、長年にわたる音楽との
音楽のみを観念的にとらえて絵にしたものとは別に、演奏者や聴衆と一緒に描いた作品もある。ある意味、こちらの方が、ずっと我々の知るデュフィらしいとも言える。
何しろ、競馬場やヨットレースの絵なども数多く描き、人々が集う場所──今流にいうなら「三密」が大好きだったデュフィである。コンサート会場でのオーケストラなど、いかにもお気に入りの画題に違いなかった。
その名もずばり、『オーケストラ』というタイトルの絵がいくつもある。
もちろん、客席側から舞台の指揮者とオーケストラを描いた作品もあるが、なかには、舞台の最後方、ティンパニーの背後から、オーケストラとその後ろの客席全体を見渡した構図のものもある。
例えば、1946年に描かれ、南仏のロデーヴ(ロデヴとも)美術館が所蔵する『オーケストラ』──。
画面手前にはティンパニー、その先にいくつかの管楽器、その下には左右に分かれて弦楽器群が、そしてステージ中央に立つ指揮者。バージョンによっては、さらにコンチェルトを演奏するピアニストとグランドピアノ……。
その奥、客席の方に目をやると、天井からは大シャンデリアが吊るされ、4階まである歌劇場風のコンサート会場を埋めるすべての聴衆を、音楽があまねく浸して陶酔に包み込む……。画面に溢れる黄色や茶色の暖色系の色は、オーケストラの演奏によって人々の心が満たされる感動の坩堝を表わしているのだろう。
デュフィは、フランスを代表する指揮者のシャルル・ミュンシュと知り合いだった。1930年代、デュフィはミュンシュが指揮をするオーケストラのリハーサル会場にしばしば通って、オーケストラの各部署に身を置きながら、楽器と演奏者が生み出す音楽をつかもうと努めた。ミュンシュは後に語っている。
「デュフィは練習の邪魔にならないよう気をつけつつ、最上段に陣取る著名ティンパニスト・バッセローネの横に座り、あるいはオルガンの足元に身をひそめ、リハーサルの間中、デッサンを続けていた。今もその姿が目に浮かぶ。そういう中から、オーケストラのシリーズ画が生まれることになったのだ」──。
デュフィがオーケストラを描いた素描には、細かな色彩メモが残され、楽器の音色や音域によって、念入りに色彩を選んでいたことが窺えるという。
デュフィが色を置く場所は、フォルムをかたどる線を微妙に外れていることがしばしば見られる。それが画面に不思議なリズムや緊張感、また逆にのびのびとした奥行きを与えている。オーケストラを描いた作品にしても、各楽器、演奏者など、みな微妙に形の輪郭線と色がずれている。
通常このデュフィらしい特徴については、色彩の「線からの解放」とか「形からの解放」などと呼ばれることが多いが、大概は、この発想の源を、版画、またはテキスタイル・デザインでの染色の経験時に、枠から色がにじみ出るのを見てヒントをつかんだと解説されるのが常である。
「定説」を頭から否定するつもりなどないが、私としては、それに加えて、音楽との関りから考えたい。すなわちそれは、ビブラートなのである。色彩のビブラート!
例えばヴァイオリンを弾く時、A(ラ)の音でもC(ド)の音でも、音程をとる位置に指を置き、ただ弦を弓でこするだけでは、深い音は出ない。フラットな音が鳴るだけで、音楽にはならない。ビブラートをかけてこそ、艶のある、魅力的な音になる。音は音楽に生まれ変わる。
絵にもそれが言えるのではないだろうか──?
色彩はモノの形が帯びるものではあるが、それが陽の当たり具合や印象度の強さによって、残像を引くように形を超えてひろがり、たゆたう。そこに、絵画が平面に形を置き写すという次元を超えて、有機的に新たな
音楽に馴染んだデュフィは、すべての既存の主義を卒業し、理論的ドグマから解放されて真の個性に目覚めて以降、この「色彩のビブラート」を極めることによって、色のハーモニーやシンフォニーといったグランド・スケールにまでたどり着き、小宇宙を形成したのだと思う。
音楽への深い理解──正確に言うならば、絵画からの音楽への密なるアプローチがなかったならば、デュフィの色彩の魔術も成立し得なかったのではなかろうか。
音楽というものは、例えばピアノで一つの音を叩いても、それは単なる音でしかない。それが作曲家によって、いくつもの音が積み重ねられ、動き流されることによって、メロディーとなり、ハーモニーともなる。デュフィの場合、このような音楽の本質を、絵画に活かそうとしていたのではなかったろうか。より端的に言えば、デュフィは絵画によって音楽を奏でていたのではなったか──?
「絵画はオーケストラの楽譜だ」という彼の言葉の真意は、そこまで理解して初めて、腑に落ちるものとなるように思うのである。
指揮者のミュンシュに加え、デュフィが個人的に親交をもった音楽家がいる。20世紀最大のチェリスト、パブロ・カザルスである。
実際、デュフィには『パブロ・カザルス』(1946年頃 個人蔵?)という、チェロを弾いているその人の姿を描いた作品もある。背景には他の演奏家たちもいるので、協奏曲を演奏中のようだ。チェロをしっかりと抱え、眼を閉じて演奏するその姿には、哲学者然とした崇高さが輝く。
カザルスは、音楽を描くデュフィの作品に親しみ、画家に対して次のように語ったという。
「私にはあなたの描くオーケストラが何の曲を演奏しているかはわかりません。でも、曲が何のキー(調性)で書かれているかはわかるんです」──。
デュフィの絵画と音楽を語って、これほどの確信とともに正鵠を射た至言は、他にないだろう。