タイトル

第35回 奥

ムンクの「べろ(舌)」さがし

作家 多胡吉郎

う20年あまり前のことにはなるが、3月から6月にかけて、長く北欧諸国に滞在したことがある。3回に分けて、都合45日くらいは現地にいた。
 オスロも数回訪ねたので、ムンクの絵をじっくりと鑑賞する機会に恵まれた。現地で見るからだろうか、ノルウェーの風土や自然の息吹のなかで、ムンクの絵画が生き生きと呼吸するように思った。
 そういうなか、目に灼きつき、強烈な印象として刻まれたのは、様々な絵に繰り返し現れるべろ(舌)のような光の帯であった。大概は海面か湖水か、水面に帯を張るが、これが現地で見た、夏に向かう強烈な太陽の光の記憶と相まって、以来、ムンクの絵があるところでは、べろを探すことが自己流のムンク鑑賞法になってしまった。
 2018年10月から翌年1月まで東京都美術館で開かれた「ムンク展―共鳴する魂の叫び」に足を運んだ時にも、『叫び』『マドンナ』を始め、テーマごとに揃えられた多様な作品群の充実ぶりに感心しつつも、どうしても目がまずはべろのある絵に向かってしまうのを抑えることができなかった。
 久しぶりに出会った『生命のダンス』は、「べろ」から見ても代表格となる作品だ。私はてっきりオスロで見た作品との再会だと思って見たのだったが、後で確認したところでは、オスロの国立美術館で見たのは1899年から1900年にかけて描かれたオリジナルで、東京にやってきたのは、画家自身によって1925年に再度描かれたセカンド・バージョンだった。
 ムンクは気に入ったモティーフがあると、少しずつ変化を加えながら、いくつかのヴァリエーションを製作することがあった。とりわけ、代表作の『叫び』はヴァリエーションの数が多く、オリジナルの油絵とは別に、パステルやテンペラ、リトグラフにもなった。経済的な理由もさることながら、踏襲と変容を自ら楽しんでいたようだ。
 『生命のダンス』は私の知る限り、2つのバージョンしかないが、オリジナルのものと1925年版とでは、ディテールに若干の差がある。
 まず、中央のカップルの表情が、オリジナルに比べ、1925年版ではより虚ろである。目が死んでいる。ふたりはダンスを踊る生きた男女ではなく、それぞれ死者が墓から抜け出して、幽霊が寄り添い佇むかのようである。オリジナルの男に特徴的だったダンスの弾みで瘤のように突き出た尻も、だいぶ抑えられ、へこんでいる。ダンスの躍動感は消え、幽体が溶け合うように、女の衣装や髪は男を絡めとる。ちょうど、「亡者」という言葉が、単に死者を意味するだけでなく、金銭や色欲に憑りつかれた人を言うように、死んでなお、愛欲の記憶はふと妖しくなまめくのである。
 画面右側の、女に抱きつく男も、オリジナルでは色欲剥き出しであさましくはあっても、どこか愉悦が表情にみなぎっていたが、1925年版では、快楽は消え、虚ろで、自らの愛欲のさがに困惑しきったような表情に変わっている。
 オリジナル版を描いた時、ムンクはトゥラ・ラーセンとの恋愛のさなかにあった。恋する者の歓びを謳うのではなく、愛の懊悩を吐露せざるを得ないところにムンクらしさが際立つわけだが、愛が過ぎ去ってだいぶたった後に絵筆をとった1925年版では、過去の記憶の亡霊を見るがごとくである。
 水面を這うべろのような光の帯には、外見上はさして違いは見られない。ただ、オリジナル版がもつ夏の白夜の摩訶不思議な時間が駆り立てる狂気という意味合いに比べると、1925年版では、歳月や時間を光の帯に託しているように思う。
 狂気の情熱を煽り立てる幻想の仕掛人ではなく、狂おしく踊り続ける人生の虚しさを照射し、宿命や業を炙り出す鏡のような役割を果たしている。

京都美術館のムンク展では、この1925年版の『生命のダンス』に現れる光の帯を、何の躊躇もなしに、夏の夜、満月が照らし出したものであると断言していたので、正直なところ、大いに驚いた。
 北欧の初夏から夏至を体験した人間からすると、どうにも頷きがたいのである。特に『生命のダンス』は夏至祭の雰囲気を濃厚にもつため、白夜のイメージ、つまりは太陽の残光であるとの解釈が妥当であるように信じる。
 そもそも、ノルウェーでは比較的南に位置するオスロでさえ、夏の日没は22時半頃で、陽が沈んでなお、澄んだ藍色が天空を覆い、黒々とした闇は地に降りず、昼の置き土産のような薄明かりが立ち込める。
 さらに北に行き、北極圏に近づけば近づくほど、完璧な白夜となり、そこでは太陽は西の地に降りてきてから地平線上を這い、そのまま東の空に昇り出す。
 その間、月は新月が顔を出すことはあっても、満月が地上に昇ることは稀だ。そのわずかな機会にも、空の反対側には沈まぬ太陽が残るか、残照がほのかな明るみを放っているので、満月が闇の湖水や海面に煌々とした光の帯を作ることは特殊な条件が重ならないと現出しないことなのだ。
 東京都美術館が月光としてしまったのは、ムンクの他の作品に「月光(Monlight)」がタイトルに付されたものがいくつかあり、そこにべろ(舌)のような光の帯が描かれているからだと思われる。
 具体的には、『月光』(Moonlight 1895)や、『月明かり、浜辺の接吻』(Kiss on the Shore by Moonlight 1914)といった作品に於いて、光の帯が月光であると明言されている。
 タイトルにある「月光(Moonlight)」には、「夏(Summer)」という言葉は付随していないので、果たしてこれがいつの季節の夜の月なのかは、疑義が残る。私としては、少なくとも、夏至祭のある夏の盛りではないように思うのだが、いかがであろう。
 ただ、ムンクが、水面に映える月明かりでさえも、陽光と同じように、べろの形で表現することがあったことは重要である。要は、男性器や十字架のシンボリズムがほしいのであり、月の満ち欠けを女性の月経周期と重ね性のメタファーとしたかったからなのである。
 『夏の夜、人魚』(Summer Night, Mermaid 1893)という作品では、タイトルにはっきりと夏の夜である旨、明示されている。しかし今度は、光の正体――太陽か月かがタイトルに付随していないので、この絵に現れた水面上の光の帯が白夜の陽光なのか月光なのかは、結局は結論が出ずじまいで、各人の判断に委ねられている。
 大切なことは、陽光であろうと月光であろうと、ムンクはそこから発せられる光の帯に感応し、作品のなかで深い意味を授けざるを得なかったという事実なのだ。

「自然とは、目に見える物ばかりではない。瞳の奥に映し出されるイメージ、魂の内なるイメージでもあるのだ」とも、「芸術は自然の対極にある。芸術作品は人間の内なる魂から生まれる」とも語っていたムンクである。
 水面に揺れる光の帯が人間心理の深層とどのように響き合うのか、彼にとってはそれこそが大切なのであり、光の源が太陽か月かという点は、さして重要でなかったのかもしれない。
 『声/夏の夜』(The Voice/The Summer Night 1896)は、木立のなかにこちらを向いて佇む若い女が描かれる。森の彼方のフィヨルドの湾(または湖水)にはボート遊びの人たち(男たちであろう)が船を浮かべていて、そのはしゃぎ声が風に乗って聞こえてくる。女性の右側には、水面に長く伸びたべろのような光の帯が、曰くありげに、てらてらと輝く。
 若き女性の内側にまで灯が射したように、何か著しい変化が起きつつあるのだろう。変容の仕掛人は光の帯だ。
 この絵は『夏の夜』というタイトルだけでなく、『声』というもう一つの題名を併せもつが、その「声」はあたかも天啓を受けるように、心の内側から湧き起こってくるのである。世俗的な「声」ならば、ボートの男たちの話し声が聞こえてくるが、何か覚醒したような彼女の姿からは、天の声を聴いたように、生を新たな次元に飛翔させる何かをつかんだことを窺わせる。
 「ひと夏の体験」とでも言うと、昔の日活ロマンポルノのタイトルのようになってしまうが、そういう汗と体液の混じるインスタントな遊戯的快楽ではなくて、肉体をも含む魂の覚醒の体験が問われているのである。この点、ムンクは人間の肉体を扱いつつ、どこまでも精神主義的である。
 光の帯は、新たな生に贈る天からの守り神のようにも、聖杯伝説の英雄の刀のようにも見える。その光の剣によって彼女は護られ、促され、変えられる。ひょっとすると、全く新たな「受胎告知」なのかもしれない。
 『森の吸血鬼』(Vampire in the Forest 1916~18)にも、べろのような光の帯が現れる。女性の吸血鬼に命を吸い取られてしまう男というイメージは、いくつか同工異曲の絵画に登場するが、光の帯とともに提示されているのがこの作品のユニークな点だ。
 吸血鬼に溺れて行く男のある種の狂気に、光の帯はどのような役割をもって関わり、その場に添わされているのだろうか――。
 奈落へと落ち行く運命、宿命を、冷ややかに見つめる傍観者なのか。文楽人形芝居の黒子のように、光をもってそのように導き、仕向ける仕掛人なのか。哀しき業を悲嘆するのか。愚かさを嘲笑うのか……。
 幾通りにも解釈が可能なように思う。それでよいのである。答えはひとつではない。大事なことは、絵を見る者の意識や思索を攪拌させ、原点的な問答に導くことなのである。
 吸血鬼のモティーフは、この絵と同じ男女のポーズで、いくつもの作品で繰り返し現れた。ここでは、そのパターンに光の帯を加味した時の変化変容を、画家自身が試し、確認しようとするかのようである。
 曰くありげな光の帯、ムンクのべろである。私は北欧での夏の体験から、昼と夜の境が曖昧となり、光が常の光ならず、てらてらとした輝きを水面に投じるさまに、旺盛な、というよりは過剰な生の力に圧倒され、言葉を超えた饒舌に狂おしさを覚えてならなかった。
 ムンクの絵画に立ち現れる光の帯のべろにも、やはりそういう過剰さを感じる。
 ムンクが光の帯をもちだす時、過剰な何かが妖しげに輝くことになる。絵のモティーフとも絡み合い、相乗効果のなかに、魂の交響楽を響かせるのだ。

ンクのべろは、光の帯に留まらない。真逆の黒々とした影のべろも時に画布を這い、不気味に舞う。
 『思春期』(1894~95)は、その手の代表作。少女が娘に変わろうとする時期、己自身が秘める性のおぞましさに気づき、慄くさまが描かれる。おそらくは初潮を迎えた日なのだろう。そう思って見ると、ベッドにはそれらしき染みもある。
 影は不安の象徴であろうか。光と影の位置関係のリアリズムを無視して、少女の腰のあたりから、嵐を呼ぶ黒雲のようにむくむくと湧きあがり、拡がっている。
 剣か柱のような光の帯とは違って、黒い影はべろりと出した獣の舌のように、なまなましく、無遠慮に、少女の背後にふくらんで、その未来までをも呑みつくそうとする。
 私は自分の感性から、光の帯も、この黒い影も、ともに「ムンクのべろ」という形容でくくっている。そういう解釈を他に知らないが、それでよいと思っている。光の帯も黒い影のふくらみも、ムンクが自身の内面に鋭く、深く突き詰めた挙句に、光と影の交わる奥処から放たれ、画面に現れたものだからである。
 『思春期』の少女を、ムンク自身だとする解説まであるのには驚きだが、性差を超えて、ムンク自身の苦悩や戦慄が創作の淵源であるゆえに違いない。
 その意味では、『地獄の自画像』(1903)に現れた大きな黒い影こそは、すべての原点となるものだろう。一糸まとわぬ自身の裸身の背後に拡がる赤い焔と、巨樹のように立ち拡がった黒いべろ。愛、欲望、嫉妬……おのれを灼きつくす地獄の業火と、命を呑みつくそうとする死神の舌。
 ムンクはどこまでも、自我を追求し、人生の生きがたさや欲望の抑えがたさを源に、絵を描き続けた画家だった。
 光の帯にしろ黒い影にしろ、ムンクの絵に立ち現れる「べろ(舌)」は、御しがたい自己を見つめ、魂の叫びを客観視しようとつとめる、彼岸から此岸への架け橋のようなものだったような気がする。