秋から冬にかけて、立て続けに川端康成の小説を読んだ。その過程で、素晴らしい1枚の絵に出会った。ジャン・フランソワ・ミレーの『春』(1868〜73 オルセー美術館)――。 川端が1950年に書いた長編小説『虹いくたび』に、象徴的な意味合いを担って登場する。
ミレー(1814〜1875)はバルビゾン派の農民画家として知られる。誰もがどこかで(複製画ではあっても)目にしたことがあるであろう『種まく人』、『落穂ひろい』、『晩鐘』といった代表作は、敬虔な宗教性を主軸に、時として社会主義的な方向に振り子を傾けつつ、大地に生きる農民たちを描いて、独自の境地を繰り広げた。
勤勉なる農本主義の伝統を色濃く受けつぐ日本人とは当然ながら相性もよく、山梨県立美術館などは70点ものミレー作品を所蔵しており、世界的に見ても堂々たるミレーの「聖地」のひとつになっている。岩波書店が創業以来ロゴマークに『種まく人』のイメージを使用しているのも、日本人のミレー好きを物語る一例だ。
乱暴を承知で言うならば、かの二宮金次郎(尊徳)の銅像と、ミレーの絵画とは、日本人の意識のなかでは、どこかでつながっているのだろう。無論、そのことを恥ずかしがる必要など、どこにもない。勤勉、素朴でつつましい暮らし、大地への畏敬、自然回帰……、親から子へ、さらに孫へと日本人が受け継いできた精神風土に、ミレーの描いた世界が無理なく重なり合うのである。明治以降の西洋文化の受容の歴史において、ミレーほど自然に、いささか過度の聖人化のベールさえまといつつ、日本人が愛好してきた例は他にないと言えよう。
さて、この『春』という絵が、農民画家の主要絵画の系譜に連なることは言うまでもない。だが、それまでの農民画とはいささか趣が異なることも事実である。常に農民の姿が画面の中心を占めていたミレーの「常識」がここでは崩れ、ひとりの農夫が画面奥の樹の下に小さく姿を見せはするものの、脇役の一部に留まっている。この絵の主役は間違いなく、生命力に溢れた大地そのものなのだ。
雨上がりの大地は、バルビゾンにあったミレーの家の裏庭からの眺めで、遠くに望むのはフォンテーヌブローの森であるという。しめやかな大地のかぐわしさが、生き物の息のように、みずみずしく、なまめかしく伝わってくる。
画面の手前が暗く、奥が明るく輝いているのは、まだ空に残る黒雲が太陽を遮る部分と、既に雲が晴れ陽光を燦々と浴びる部分とが混在するからだ。影を手前に、光を奥に置くこうした描き方は、バルビゾン派の風景画でしばしば用いられた手法でもあったが、ミレー最晩年の絵筆は、神々しさの域に達している。
この絵が生まれた背景には、ミレーの友人の死が関わっていた。同じバルビゾン派の風景画家テオドール・ルソー。ミレーの不遇時代、影に日向にいろいろと助力を惜しまなかったが、病を得て、1867年、ミレーの腕の中で息を引き取った。その心痛と喪失感から、ミレーはキャンバスに向かったという。
雨模様から晴天へ、冬から春へ――。闇から光への転生に大地に宿るすべての命が輝く。この絵には、再生の祈り、生命の讃仰が満ちている。林檎は春一番に花をつける果樹というが、小道の両側の林檎の木は既にところどころ花を咲かせている。森の上の空に3羽の白い鳥が舞っているが、鳥は亡くなった者の魂を運ぶと言われ、また、処刑されたキリストが蘇るまで墓にいたのが3日とされることから、やはり復活と再生が暗示されてもいる。
そういう、象徴性を込めたメタファーを散りばめつつ、すべてを照射するように虹が空にかかる。送る世界と迎える世界にまたがる架け橋のようでもあり、地に生きる者の祈りに応えた天からの贈り物のようでもある。
川端康成が『春』の絵を『虹いくたび』で持ち出したのは、無論、虹が描かれた絵だからであるが、再生への祈りという絵に込められたミレーの思いは、川端作品にもきちんと受け継がれている。川端のこの小説は、恋人が特攻隊で死んでしまい、心の痛手から逃れられないヒロインを主人公とするもので、大切な人の尊い命を奪われた戦争の傷跡を負う人々への鎮魂と再生がテーマとなっている。
昨年は、台風被害などで多くの犠牲者が出た。ミレーの『春』は、かつて川端が戦争被害者の心に絵の主題を重ねたように、今もまた、癒しがたい喪失の痛みを抱える人々の胸に、再生への希望を与えてくれることだろう。