「鏡よ鏡、鏡さん、世界で一番美しいのは誰?」――。
幼い頃から馴染んだこの有名なセリフは、グリム童話『白雪姫』の中で、継母の王妃が魔法の鏡に向かって尋ねる言葉。ここにとりあげる絵画も、魔法の鏡のような世界ではあろう。エドゥアール・マネ(1832~1883)最晩年の傑作、『フォリー=ベルジュールのバー』(1882)――。
バーの売り子をヒロインとすることは一目瞭然ながら、画面の殆どが鏡の中の世界であることを見落としてしまった人もいるかもしれない。女の腰の背後に、木の板が横に渡されているが、それが大きな鏡の下枠で、ここから上は、鏡の前に立つ売り子の正面像やカウンター上に並んだ酒瓶を除き、ほぼずべてが鏡に映る世界で構成されている。
フォリー=ベルジュールはパリの老舗の劇場で、1870年代以降は、曲芸や見世物などのだし物を軸に、ショーと音楽で綴るミュージックホール的な様相を濃くした。マネのこの絵でも、画面左上に、宙づりになった芸人の脚が見える。都市を彩る華やかな社交場として、劇場は人々の享楽と夢に湧いていたのである。
劇場の売り子、いわゆるバーメイドは、客との交渉次第では、体を売ることもあったという。絢爛豪華な劇場に出入りはしていても、最下層の都市住民として、背は腹に代えられない現実を抱えていたのだった。
マネは19世紀中後半に現れた、何人もの絵画芸術の革命児のひとりだった。印象派の時代に活躍した画家であり、革新的な手法で、アカデミズムにとらわれた守旧派に反旗を翻し続けた。しかし、光をどうとらえ、色彩をどのように重ねるかといった表現上の技術、方法にこだわった、ある意味、「内向き」の印象派の面々とは趣を異にしていた。
マネは社会派だった。社会のひずみや偽善をヴィヴィッドにとらえ、告発した。しかも、鋭い視点がとらえたテーマを訴えるに、絵画の中に独特の装置を仕掛けて描くことに長けていた。マネの画業を代表する「勝負絵」では、彼の仕掛けたユニークな装置が雄弁にテーマを描出した。
センセーションを巻き起こした出世作『草上の昼食』(1862~63)では、野外でランチを楽しむ着衣の紳士たちに裸の女性を同席させ、神話や歴史上の人物ではない生身の女性ヌードを現実の場に闖入させることで、上流社会の偽善性を白日の下にさらけ出した。『オランピア』(1863)では、娼館の若きマドンナの裸身をヴィーナス然と横たえ、脇に黒人メイドを配することで、北アフリカの植民地をも含めたフランス帝国の偽善を暴露する劇的装置を完成させた。
そして、人生最後に用いた大仕掛けが、フォリー=ベルジュール劇場の鏡だった。左足にえ壊そ疽を抱え、歩行すら不自由だった晩年(といってもまだ50歳!)のマネが、劇場に何度も通い、のみならず、自宅のアトリエにも一部セットを再現し、モデルとなった売り子に来てもらって仕上げたという。
子細に見れば、鏡の像にはおかしなところがある。誰もが違和感を覚えてならないのは、売り子が対面する男と彼女の後ろ姿が映り込む位置である。相当に右にずれている。鏡であることを理解していないと、売り子とは別の女性のように誤解しかねない。カウンターに並ぶ酒壜も、すべてがきちんと鏡に映っているわけではない。
そういう鏡に映るディテールのリアリズムは、マネにとってはさほど重大ではなかったのだろう。それよりも、劇場空間を巨大な鏡を通して描くという装置設定がよほど大切にされたのである。ではずばり、その装置によってマネが描き出したかったものは何なのか――?
鏡を用いたこの絵は、表と裏でできている。鏡の前の世界が表で、鏡に映り込む映像が裏だ。実と虚とも言えよう。唯一の表の人物、実に生きる者は売り子である。享楽と夢の坩堝に身を置き、虚の華やぎのような熱気を浴びつつも、生きるためには身を売ることすら余儀なくされる苛酷な現実に、青春の日々を重ねている。憂いを湛えつつも、ひときわ可憐な売り子の印象からは、画家がこのヒロインに相当に入れ込んだ様子がうかがわれる。
マネにとって、鏡を背にして立つフォリー=ベルジュールのこの売り子は、パリの華やぎの最前線で、その光と影を一身に背負うように生きる聖女だったのだろう。鏡によって、マネは劇場空間を立体的にとらえ、都市の実態を裏側まで覗き込む、社会の縮図として描き出した。
この絵が完成した翌年、マネは51年の生涯を閉じる。最後まで、マネは果敢な社会派の画家だったのである。