第30回 表

史上最強(!)の猫絵が結ぶ
少女とルノワール、運命の絆

作家 多胡吉郎

 知り合いの猫好きたちに尋ねてみた。「世界の名画で、最も可愛い猫絵は何でしょう?」――。各人各様かと思いきや、多くの場合、答えはほぼ1点に絞りこまれた。
 ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841〜1919)が描いた『ジュリー・マネの肖像(猫を抱く少女)』(1887)――。確かに、少女に抱かれて目を細めた猫は、とろけそうなほどに気分がよさそうだ。午睡に誘われるような幸福感がこちらにまで伝わってくる。
 19世紀、市民階級の経済的台頭は、「スウィート・ホーム」という新たな家族の場を生み出した。そこでは、猫や犬など人間に隣住する動物も、それまでとは異なる役割を担わされた。元来ネズミを捕る故に飼われてきた猫が、今や家族とともに暮らし、その愛を受けて生きるペットとして家族の日常に深く立ち入る存在となった。
 絵画の歴史を見ても、かつて猫は人物の足元や画面の隅に控えめに姿を現し、禍々しさや、時には生命力といった寓意や隠喩を添えるのが常だった。それがこの絵では、主人公の膝に抱かれて、過去の寓意性のいっさいから解放され、純粋に猫そのもの、愛らしいペットとして登場している。ルノワールは声高な主張をしないが、少女に抱かれる猫というイメージそのものの中に、革新性が輝いている。
 猫というのは気まぐれな動物なので、くつろぎと安らぎの時が数秒後には一瞬にして崩れ、猫が少女の膝からひょいと飛び移って行くことも充分に考えられる。だがルノワールの絵では、少女と猫の絆は盤石そのもの。もちろんそれは少女から猫に注がれるたっぷりとした愛情の証なのだが、その隙のない完璧さはどこか聖母子のような雰囲気をも醸し出す。
 よく見れば、少女は単なる可愛らしさを超えている。潤んだ瞳に憂いさえ滲ませ、真っ直ぐにこちらへ眼差しを注ぐ。全体としては印象派の筆さばきながら、少女の顔に関しては、イタリアの古典主義に近い線の明確なリアリズムで仕上げられ、これが個性を際立たせ、聖性をまとわせることにもなっている。並の少女ではない。幼いながらも、宿命的=ファム・ファタル的なオーラに包まれている。
 絵のモデルとなったジュリー・マネは、画家エドゥアール・マネの弟ウジューヌ・マネと、印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾの間に生まれたひとり娘だった。ジュリーは幼い頃からしばしばモリゾの絵に登場、成長が記録されてきた。印象派の画家たちとは日常的な交流があり、あたかも印象派の娘、小マドンナのように育った。
 ルノワールはモリゾと同い年で、印象派の中でも彼女に格別の親しみを抱いていた。友情は堅く、互いに画家として刺激し合った。実は当時、ルノワールは印象派の理論一辺倒な手法に逼塞感を覚え、岐路に立っていた。モリゾは画友の苦悩を悟り、殻を破ってくれることを期して、我が娘を描くようルノワールに依頼した。
 ルノワールは下絵を4度も描くなど精魂傾けて創作にあたり、印象派らしさに伝統の作風を混在させた独自の境地を結実させた。「自分にとって揺るぎないもののひとつ」――ルノワールは、モリゾとの友情の大切さを公言して憚らなかった。
 ルノワールはジュリーの絵を3度描いている。最も早くが9歳の時の猫を抱いたこの絵で、1894年には、16歳のジュリーの肖像と、モリゾとジュリー母娘2人の姿も絵にしている。だが翌年にモリゾは病没、ウジューヌも3年前に死去していたので、ジュリーは17歳で孤児となってしまう。ルノワールは詩人のマラルメらとともに後見人となり、画家仲間では最も熱心にジュリーの面倒を見た。
 モリゾが亡くなった年の夏、ルノワールはジュリーを招き、バカンスを家族らと共に過ごす。夏の終わりに、思い出をジュリーは日記に綴った。「ムッシュー・ルノワールは夏の間ずっと親切でチャーミングだった。知れば知るほど、彼が真の芸術家であり、一流で、とてつもなく知的であることがわかる。そして同時に、純粋で素朴なやさしさそのものだということも」――。ジュリーはその後、ドガの弟子のエルネスト・ルアールと結婚、1966年まで生きる。自身でも絵を描き、特に皿の絵付けを得意とした。
 おそらくルノワールはモリゾを慕っていたのだろう。愛する女性の遺児、しかも美しく才気溢れる娘であれば、女性を描いてひと時代を築くルノワールにとって、ジュリーも特別な存在であったに違いない。
 猫を抱く少女の絵は、人々の後の運命を予見するような不思議な雄弁さを秘めている。少女を見つめるルノワールの眼差しが、すべてを透視してしまうかのようだ。もっとも猫はそんなことには無頓着に、気持ちがいいニャンと目を細める。それ故にこそ、猫は尊く可愛いのであろう。

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