第28回 奥

秘めたるエロス。風景画家コローの描いた女性像

作家 多胡吉郎

 コローの森の絵になじんで以降、しばらくの間、私にとってこの画家は自然と風景を専門とする芸術家だった。ちょうどイギリスのコンスタブルのように、田園に徹した風景画家だと思い込んでいた。
 それが、コローの画業のうちに、風景画と並んでもうひとつの軸があることを知ったのは、ひとつの作品との出会いがきっかけだった。
 ルーブル美術館が所蔵する『真珠の女』――。製作時期については諸説あるようだが、ルーブルでは、1868年から70年頃の作としている。だとするならば70歳を超えた晩年の作になるが、亡くなる時まで、コローは手元に置き、手放すことがなかったという。なるほど、手ごたえ充分というか、忘れがたい印象を残す傑作である。手の組み方など、かの『モナ・リザ』をも意識したかのような、ファム・ファタル的な存在感を示して余りある。
 いずれにしても、この作品が契機となって、私は風景画家コローにもうひとつの軸となる世界があることを知ったのだった。それはずばり、肖像画の世界、しかも中心は女性像なのである。静謐なコローの風景画に親しんだ身にとっては、正直、この事実はかなりの衝撃であった。
 現在明らかにされているコローの作品は、スケッチのような類いも含め、全部で1000点を超すという。そのうち、10パーセントほどが肖像画だというのだ。その殆どを女性像が占める。
 そうした事実は、生前も風景画家としての名声に隠れて殆ど世に知られることはなかった。美術展にて公開された肖像画もごくわずか(4点だけだった)で、コローのアトリエを訪ねた友人知人たちの間でのみ、肖像画、女性像の素晴らしさが語られていたのである。没後35年近くが経過した1909年になって、パリでコローの肖像画24点が展覧会にかけられたのを除けば、その後も、コローの肖像画が彼の作品の主軸として語られることはほぼなかった。
 だが、最近になって、風景画家が描いたもうひとつの世界に対して、とみに関心が高まっている。従来の型を抜けたその肖像画が、セザンヌやピカソ、ブラックなどに多大な影響を与えたという美術史上の事実もあるが、何よりもコローの手になる肖像画の質の高さと、女性像が放つ謎めいた奥深さが、注目の対象となっているのだ。2018年に、アメリカのワシントンDCにあるナショナル・ギャラリー・オブ・アートで開かれた「コローの女性画」展で40点を超す女性肖像画が特集展示されたのは、その現れであろう。
 風景画と、女性像と、それはコローという画家が抱えた両翼なのである。ゴヤの名作に『着衣のマハ』と『裸のマハ』があるように、両者は表裏一体の筈である。今や女性像への視点、言及なしに、コローを語ることはありえない。
 『真珠の女』に戻ろう。先にも触れたが、腕を組むポーズはダ・ヴィンチの『モナ・リザ』にそっくりで、画家自身が意識してそのように描いたことはほぼ間違いない。というのも、19世紀になるまで、『モナ・リザ』は多くの人々に知られた絵ではなかったが、1859年に版画が作成され、大量にそのイメージが拡散されたからである。
 実際にモデルを務めたのは、16歳になる近所の織物商の娘だったという。とはいえ、少女の姿を忠実に写そうという意識よりも、コローにとっての永遠の女性像を、つまりはコロー版『モナ・リザ』を描きたいとする意欲が創作を導いたものと思われる。
 『真珠の女』というタイトルは画家自身がつけたものではない。頭に載せた飾りの一部、球状の部分が額にかかるのを真珠と見誤った後世の人間が、そう呼び習わしたものらしい。
 真珠のような貴族的な装飾はここには必要なかった。女が身にまとうのは、イタリアかギリシャの農婦と思しき衣装で、これはコロー自身がモデルに着させたのである。コロー版『モナ・リザ』は、農場や牧場で働く平民女性でなければならなかった。数あるコローの女性像の中に、きらびやかに着飾った貴婦人を描くような作品は存在しない。
 この肖像画は決して派手ではない。女性の容貌も衣装も、華麗な出で立ちからはほど遠い。全体の色合いも抑えられていて、地味目だ。だがそれでいて、この絵の女性は確かな生命感に満ちている。対峙する鑑賞者を、集中力を伴う思念に向かわせてやまない。
 本家のモナ・リザに比べればずっと小市民的ではあるけれど、絵の前に立つ者をじっと見つめるその眼差しには、内面からこみ上げ、訴えかけるような存在感があり、画家にとっての宿命の女性像なのではないかと、想像の翼がつい羽ばたいてしまう。生涯独身を貫いたコローが結婚しなかったのは、表立っての本人の弁としては、絵画芸術の虜となり、生涯の伴侶としたからということになっているが、その実、秘められた永遠の恋人がいたのではないかと勘繰りたくもなってくる。
 気になることがある。地味目でおとなしい印象の女性だが、何故か、右の胸元の着衣がやや乱れている。上から強引に覗きこもうとすれば、乳房が見えてしまいそうだ。実はコローは、一度は胸元が緩んでいない普通の恰好で描き、その後に、現在の形に描き直したのだという。
 そこには、抑制されてはいるものの、官能の疼きがちらついている。気品と尊厳の合間にたおやかなエロスが漂う。あたかも青い海原の底にゆらゆらと藻の影がほの見えるがごとくに……。
 この控えめに胸をはだけた姿は、『真珠の女』だけにとどまらない。1840年から45年頃の製作とされる『若い女(ピンクのスカートの女)』や、1850年の作で、フランス南西部ガスコーニュ地方の女性をイタリア絵画のような趣で描いた『金髪のガスコーニュ女』でも、やはり女性の胸元が緩い。
 コローにはディアナ(ダイアナ)など神話世界の女神を描いた全身ヌードの作品もあるのだが、私の目には、こういうチラリズムのほうが印象が深い。そのエロスの印象を、先ほど海にたとえたが、何がしか、コローという人そのものの精神の海の底を覗くような気にさせられるのである。



 よく見れば、コローの風景画にも、海の底を覗くようなエロスの感覚はちらついている。
 あの『モルトフォンテーヌの思い出』の銀灰色に覆われた朧な風景の中に、一点の鮮やかなアクセントを与えていたのは、画面左の花や宿木を摘む女性たちであった。静謐の中にこだまする女たちの華やいだ声が聞こえてきそうな気配だ。
 背伸びをするように宿木に手をかけている右の人物は成人女性で、あとの2人は妹か娘たちであろうか、ともかくも女性たちの艶やかさが、冷気に覆われた朝の森と湖に、人肌のようなぬくもりを与えているのである。
 もとより遠い日の記憶のような夢幻の一景ではあるが、女たちの存在は、生きること、存在することの根源に巣をなすなまめかしさを際立たせている。女たちの嬌声は、この世に生を受ける前、母体の子宮で聴いた母の声を思わせる。
 この絵と対をなすかのように、同じ構図を用い、女性家族の代わりに老漁夫を配した『モルトフォンテーヌの舟人』という絵があることは前にも記した。
 同じモルトフォンテーヌの森と湖を描きながら、遠い日の記憶から紡いだ『思い出』は夢幻的でロマンティックな情感に溢れているのに対し、『舟人』のほうはいったいに霧が薄めで、森と湖はより具象的に描かれ、たったひとりで舟を操る老漁夫からは寂寥感が漂う。老人の孤独な姿は、甘美な夢から覚めた冷厳な現実のように、コロー自身に重なるものだったのではないだろうか……。
 コローの森の絵が、心の巣であると書いた。思えば森そのものも、あらゆる命の源となるような神秘の性、エロスを孕んでいる。奥深く濃密な広がりは大きな子宮のようでもある。そこでは草木が芽を吹き、花を咲かせ、雌雄が重なり、実をつけ、種を散じる、一連の命の営みがそこかしこに繰り広げられる。森はエロスが胚胎する舞台、あらゆる生命いのちの揺り籠なのである。
 実際にコローは、森と女性のエロスを、自身の筆になる画面の中でも結ばせている。『アムールと戯れるニンフ』(1857)はその典型的な作品で、神話的世界を借りながら、森の木々や下草とともに、牧歌的な調和の中に控えめなヌードを置いている。
 さらに進んで『水浴びするディアナ』(1869~70)になると、森のディテールは省かれ、やわらかな緑や泉水の飛沫、光の中に、白い裸身の全身像を浮かび上がらせている。神話性は後退し、生身の人間としての女性に肉迫している。
 ここで思い出されるのは、ボードレールがコローの風景画を讃えて述べた次の文章である。
 「1枚の風景画の構成を人体の構造になぞらえることが許されるなら、コローは、骨をどこに置き、どのような規模を与えるべきかを常に心得ている、ごく少数のひとり、おそらくは唯一の人物である」――。
 1859年のサロン評で述べられたものだが、この時点では、その風景画だけを見ていたボードレールが、配置の妙、ハーモニーの融和を軸にコローの本質を語って、風景画と人体を重ねる発言をしていたのである。風景画の天才が、やがてヌードの全身像をも描くことになると知れば、ボードレールも驚いたかもしれない。
 コローが本格的に人物画を手がけるようになるのは、このサロン評の出た翌年からのことであることを思えば、あるいは、コローのほうが天才詩人の言葉に影響を受けたのかもしれない。
 コローの森は肉体的である。人の裸身の姿ぶりと手ざわり、人肌のぬくもりとなまめかしさに満ちている。
 これは少し後のことにはなるが、ヴァン・ゴッホが、弟テオに宛てた書簡で、コローの人物画について、やはり自然と重ねるかたちで述べている(1881年8月26日)。
 「風景画に比べるとコローの人物画は有名ではないが、どうしてなかなかのものなのだ。コローは、すべての木の幹を、あたかもそれが人物であるのと同様に、関心と愛情をもって写し描いている」――。
 コローにとって森の木々と人物とが等価であることを、ゴッホの直観は見逃さなかったのだ。


 コローの描く女性像に共通する特徴のひとつは、物思いのさまとでもいうか、憂いを含んだ内省的、瞑想的な雰囲気をまとうことが多いことである。
 加えてこの物思いが、ほのかなエロスに結びついているのがコロー流である。ワシントンDCのナショナル・ギャラリー・オブ・アートで開かれた『コロー蠱惑こわくの女性』展でも、「メランコリック・アンド・エロティック」という形容がしばしば使われた。
 コローとしては最も大胆なヌード像であろう『水浴びするディアナ』にしても、視線は伏せられていて、肉体美を誇るような仕種や挑発的なところ、蠱惑的なところはおよそない。物思いの影を宿して印象を深くしている。
 着衣の女性像も、またしかり。1870年頃の作とされる『ギリシャの少女』も、若々しくくっきりとした輪郭とぱっちりとした明眸をもちつつ、どこか物思いの影から離れられず、しかも特にこの少女に関しては、尖った哀しみのようなものがほとばしり出ている。
 コローの絵には外国の衣装を身に着けた女性が多く登場するが、この『ギリシャの少女』も、実際にギリシャに行って描いたわけでもなければ、ギリシャ人の女性をモデルに描いたわけでもない。自身のアトリエに呼んだモデルに、ギリシャの田舎風衣装を着させただけである。イタリア風とかギリシャ風とか、外国風俗にやつすことにはさほどの意味はない。
 ほどよき借り着をまとわせつつ、コローの眼差しは女性の内面へと向かっている。女性の奥深くに存在する不安や孤独、不如意、虚無、放心、痛みや哀しさなどを引き出し、そこに寄り添おうとする。
 ある意味、それは裸以上の裸なのである。イタリアだろうとギリシャだろうと、衣装はあくまでも借り着であって、画家の主眼はその奥の奥に注がれている。モデルの姿を借りて、彼が見つめようとするのは、「女性」の本質、子宮的な真実とでもいった存在の核である。
 その、人間存在の奥底までをも覗くような画家の視線に「女性」が反応するところに、エロスが胚胎する。表面的なヌードが発散するエロスではなく、衣装はおろか、裸身の皮膚やその奥の肉さえも剥いでしまった内なる秘所において、骨身の存在核が奏でたてるエロスなのだ。
 敢えて和風のレトリックで解けば、「物思い」の暗い海の底にて秘めたる光を放つ「もののあはれ」に触れてしまったということになろうか……。
 『読書に疲れて』(1870)という作品では、メランコリーはより濃く、ふくらみをもつ。イタリア風の衣装をまとってはいるが、ここでも事の本質とは無縁の借り着にすぎない。それまで続けてきた読書をふとやめ、眼差しを落として、物思いにふける。テーブルについた肘を頭の方へと折り曲げた恰好も、思索的、瞑想的な雰囲気を高める。
 コローの肖像画には、読書する女性がたびたび登場する。本の世界を旅することで、精神は逍遥を重ね、物思いを深くする。
 一般的に言って、19世紀以後、読書する女性を描いた絵画は増えた。これは、女性の抑圧からの解放への願いと無縁ではなかろう。コローの社会的視線はさして強くないかもしれないが、読書によって拡がる内面世界のふくらみ、充実は、充分に意識していた。
 手紙を書いたり、楽器を奏でたりするのも、コローの女性たちにはよく見受けられるが、これも、メランコリーをふくよかにする小道具であろう。それらは、伝統的にもエロスを引き立てる典型的なメタファーでもあった。


 もうひとつ、コローの女性像に顕著な特徴は、色使いにある。銀灰色に覆われたような霧と靄の森と湖が色彩を抑えた世界であったのに比べ、女性像のほうは時に自由な息吹で彩りが添えられている。
 これは、モデルに着させた民族衣装を始め、女性の身を包むファッションや装飾品に由来するが、風景画では抑えていたものが、もう片方の翼であった女性肖像画では、のびのびと施されている。
 先に見た『若い女(ピンクのスカートの女)』のスカートもそうであったし、モデルの名前がそのまま絵のタイトルになった、1866年作の『アゴスティーナ』では、モデルに着させたイタリアの民族衣装の花柄の模様や首飾りなどが鮮やかに描きこまれ、堂々とした神話的美神の趣を呈するに至っている。
 コローの色彩が最も華やかに画面に溢れたのは、死の前年、1874年に描かれた『青い服の婦人』であった。コローによる色彩の極致とも言える作品であり、遺作となった作品でもある。
 アトリエに女性を置くのは他にもいくつか例があり、また肩肘をつくポーズは、他の女性像とも共通するメランコリーのポーズである。
 しかし、農婦のような田舎の庶民女性を好んで描いてきたコローが、この絵では、ファッショナブルな夜会服で女性の身を包み、立たせたのである。これからオペラ座か舞踏会にでも出かけるかのような趣であり、色味に乏しく殺風景なアトリエに、大輪の花が咲いた感がある。
 この時、画家は78歳であった。高齢でも枯れることなく、むしろ歳を重ねた最晩年になって、革命的な色彩の解放がなされたのである。
 この絵のモデルをつとめたのは、ドガの絵でも頻繁にモデルをつとめたエマ・ドビニーで、コローのお気に入りだった。先に挙げた『ギリシャの少女』も、エマがモデルをつとめている。
 エマの残した証言によれば、コローのアトリエでは、モデルをつとめている間中、話したり歌ったり、動いたりが自由であったという。コローは「動きのあるところが、私がエマを気に入っている理由だ」と語り、また「私の目標は生を描くことだ。動きまわるモデルこそが、私には必要なのだ」と述べたという。
 「生を描く」と画家は明言した。森のような風景画でも、コローは生を描いてきたといえよう。森の朝の空気が伝えるしとやかにしてひそやかな生の息吹が、コローの風景画の命だった。
 ただ、特に女性画の場合、コローが語る「生」には、どこか母の面影が絡む気がしてならない。母の思い出が、すべての女性像の下敷きにあるのではないだろうか。
 コローが生まれた家は、裕福な織物商だった。母はデザインを手がけることもあったという。テクスタイルや、衣装デザイン、テクスチャーなどは、コローが幼い頃から馴染んだ世界だった。
 多くの女性像から立ちのぼるメランコリーも、母の気持ちに重なるのであろう。晩年になるほどに、女性肖像画は母への追慕を露わにし、幼い日々に馴染んだテクスチャーや色彩を横溢させて行ったのかもしれない。
 宿命の女性のような『真珠の女』が、近所の「織物商」の娘をモデルとして描かれたという事実も、ただの偶然ではない気がする。おそらくは、母の面影を手繰り寄せようとする晩年のコローの願いの現れであったのだろう。
 森もまた母なる宇宙である。生命をはぐくむ、エロスの舞台でもある。
 エロスという言葉を、既に何度も使った。コローに関していうエロスとは、性的欲望を刺激する、その手のエロスとはいささか質が違う。
 母の胸に抱かれ、豊かなふくらみをまさぐって乳を吸う赤子の記憶や、あるいはもっと遡って、母の子宮に回帰するような、命の揺り籠のぬくもりに抱きとめられたいとする願いや夢が、コローのエロスの正体である気がする。
 ひょっとすると、コローは女性を描きつつ、母の乳房を吸う幼児の記憶に端を発し、成人して以降は、女性の裸身に縋りつくしかない男というものの宿命に迫っているのかもしれない。
 コローの女性像が秘めるメランコリーとは、畢竟ひっきょう、永遠に憧れ求め、しかし決して達せられることのない、おしなべて人なるものの存在に巣くう哀しみなのであろう。
 そしてまた、150年以上の歳月を経て、コローの森に「巣」を感じる私たちは、同じ作者が描く女性像に対してもまた、何がしか存在の淵源に湛えられた羊水のようなものに触れ、魂の故郷への回帰に、心の琴線をふるわせることになるのであろう。

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