北のヴェニスとも呼ばれるロシア、サンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館を初めて訪ねたのは、まだソビエト時代のことであった。ロマノフ王朝の栄華を伝える膨大なコレクションの、ルネサンス絵画に代表されるイタリアへの憧れとは別に、オランダ絵画の充実ぶりに目をみはらされたが、ひときわ燦然たる輝きを放っているのがレンブラントの作品群だった。
自画像を含む肖像画が多いのだが、それらに混じって並ぶ宗教画が気になった。レンブラントの画業のひとつの柱に、新旧の聖書に材をとったものがあることを知ったのは、ここエルミタージュでの出会いによる。
エルミタージュが所蔵するレンブラント作品は23点にのぼるが、劇的表現の迫力という点で言うなら、旧約聖書の「創世記」に登場する物語を描いた「イサクの犠牲」が群を抜いている。1635年頃、レンブラント30歳前後の作品になる。
ユダヤの族長アブラハムは、その信仰が真実であるかどうかを確かめんとする神から、年老いてやっと得た息子のイサクを
ユダヤ民族の建国史でもある旧約聖書にあって、アブラハムは神話から歴史へとつなぐ人物である。大雑把な喩えで言えば日本の神武天皇のような存在で、初代の王とも言える。イサクの犠牲は旧約聖書の中でもつとに知られた話のひとつで、何人もの画家が絵にしている。天使が現れた瞬間を描く場合が多いが、ヤン・リーフェンスのように、処刑中止の後、天を仰ぎながら抱き合って安堵し合う父子の姿を描いたものまである。レンブラントの筆は劇的な緊張感をよくとらえているが、その焦点はアブラハムの胸中の思いに当てられているようだ。
神の命令を受けて以来、アブラハムは苦悩を重ねてきた。「神よ、何故我が子を殺さなければならないのですか……」――。幾度問いかけても、納得できる答えは返ってこない。煩悶の果てに、愛する子を捧げようと決意した父の悲壮の覚悟のほどは、イサクの顔を押さえつけた手の力強さに現れている。心のうちに重ねた煩悶の重みの裏返しが、強引な力わざとなって現れるのだ。
顔を力づくで覆いつくすことで、息子はかろうじて生贄として肉体化する。女性かと見まがうばかりに肢体が白いのは、神に捧げる身と化したからであろう。意思を喪失した白い体に、後は赤々とした鮮血が流れるのを待つばかりだったのだ。
突如として出現した天使にアブラハムは驚くが、ホッとしたような感じはない。処刑中止命令が出た後も尚、父の煩悶は続いているかのようだ。「神よ、何故私をこのように試そうとなされたのですか……」――。複雑な父の思いのすべてを載せたように、天使の払った刀がゆっくりと落ちて行く。まるでそこだけがスローモーションをかけられたように、ゆっくりと……。
この絵におけるアブラハムは、偉大な王ではない。怖れ
何人もの画家によって描かれた「イサクの犠牲」だが、アブラハムの内面にこれほど深く入った絵を他に知らない。レンブラントの眼差しは、聖典の名場面を映像化するといった次元を遥かに超えて、人間存在そのものに注がれているのだ。
イエス・キリストの生涯を記した新訳聖書に比べ、旧約聖書では途方もなく長い歳月にわたるユダヤ民族の歴史が述べられている。しかも、聖なる教義を集めた聖典としてのみとらえるには、この話のどこが神聖な物語なのかと疑問が湧くような、しかしその分興味が尽きない話がいくつもある。ユダヤ民族の「古事記」のようなものだと私は理解しているのだが、多彩な光に照らされた豊かな世界が展開されるのだ。
「スザンナの水浴」という有名な話も、今流にくだいて言うなら、エロおやじどもの覗きとセクハラ、およそ聖書にふさわしくない物語なのである。
この逸話を伝えるのは、かの「ベルシャザールの饗宴」を伝える「ダニエル書」の外典――。 スザンナはユダヤの律法に忠実な貞淑な妻であったが、入浴するところを長老2人に覗かれ、関係を迫られる。スザンナが固辞すると、長老らは姦婦であるとの噂を流布し、彼女を窮地に陥れる。死罪になる寸でのところで知恵者ダニエルによって無実が証明され、スザンナは救われる。
面白いことに、中世まではスザンナの祈りの姿が主として絵に描かれたが、ルネサンス以後、圧倒的に入浴シーンが多くなる。聖典のお墨付きを得て、画家たちは晴れて女性のヌードを描くことができる(人々は堂々と鑑賞することができる)からであった。ティントレット、ヴェロネーゼ、ルーベンスなど、何人もの画家がこの逸話をもとに絵を描いている。
レンブラントは生涯に2度、「スザンナの水浴」を描いている。早いものは1636年、30歳の時に描かれた。オランダ、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵する。
裸身の女性=スザンナが主役であることは自明ながら、気をつけて見れば、背後の林の中に隠れる男の姿が描きこまれている。聖典では言い寄る男は2人のはずだが、ここでは1人が横顔を覗かせるだけだ。しかも、まわりの木々に埋もれる感じで印象は薄い。かろうじて男が描きこまれているので、この水浴する女性がスザンナであるとわかるという程度だ。
男の印象が薄い分、画家の視点は存分に主役のヒロインに注がれている。輝くばかりの白い肉体である。1634年に結婚した愛妻サスキアをモデルにいくつかの作品を描いたこの時期のレンブラントだが、このスザンナの容貌は妻のものではないようだ。とはいえ、この女性は神話や聖典に登場する仰々しさをまとわず、小市民的というか、私たちの隣にいるような女性である。おそらくレンブラントには、仰ぎ奉られる「ご立派」な聖典から、市民としての女性の肉体を解放したいという意図があったのだろう。
さて11年後、レンブラントは再び「スザンナの水浴」を手がける。1647年に描かれたこの作品は、ベルリン国立美術館に収められている。スザンナ自身の白い裸身、こちらへと向けられた驚愕の視線などは、11年前のものとかなり似通っている。右手で腰布を支え、左手で胸を隠そうとする恰好まで同じである。決定的に違うのは、男たちの登場の仕方だ。
姿を現した2人の男のうち、スザンナに近寄った1人目の男は、いかにもの好色漢に見える。身なりからはある程度の地位を窺わせるが、左手でスザンナの腰布を剥ぎ取りにかかり、露骨に言い寄っている。自分と関係しなければ、悪い噂を言いふらすと、悪辣な脅迫にも及ぶ。
だがある意味、この1番目の男はわかりやすい。正真正銘のワルなのだから。より微妙な影を負い、気になるのは、2番目の男である。年上のこの男は、明らかに自分よりも年若いワルにつき従ってこの場に現れた。1人ではこのような悪事には及べない。度胸はないが、多少の良心はある。それでいて、ワルの力を頼みに、あわよくば自分もおこぼれに与ろうと、つき従ってしまう。人の道に反する行為だと半ば気づきながら、誘惑に負けたのである。
「スザンナの水浴」にこういう複雑な陰影を有した人物を登場させてくるところが、レンブラントの凄さだ。敢えて言うなら、この2番目の男こそが、この絵の隠れた主役なのではないか。
1642年に愛妻サスキアが死去して以降、レンブラントの人生は明らかに下り坂をたどる。乳母として雇った寡婦のヘールトヘを愛人にしてしまう。その関係が清算されていないうちに若い家政婦のヘンドリッキエと愛し合う。ヘールトヘからは訴えられ、財産絡みのサスキアの遺言に縛られて、ヘンドリッキエとは子までなしながら結婚できない。
そういう泥沼の家庭状況の中で、再び絵筆をとることになった「スザンナの水浴」なのである。スザンナを中心に描きつつ、レンブラントの思いは男たち、とりわけ2番目の男に寄せられて行ったのではなかったか……。
レンブラントには、旧約聖書に材を負うもう一人の女性の水浴の絵がある。1654年に描かれた「バテシバの水浴」――、パリのルーブル美術館が所蔵する。
ユダヤの王ダビデは、ヒッタイト人ウリヤの妻バテシバの水浴姿を目にし、その美しさに心奪われてしまう。何とか自分のものにしたいと念じた王は、ウリヤに手紙を送って召し出し、関係を結ぶ。のみならず、王命によってウリヤを激戦地の前線に派遣、戦死に追いやる。バテシバとの間には子供が生まれ、最初の子は神の裁きにより死ぬが、王妃となって生んだ息子は後にソロモン王となり、名君としてユダヤ民族を率いることになる。
レンブラントの絵は、水浴の姿と、召喚の手紙と、2つの逸話を合成して構成されている。侍女に足を洗われ、バテシバは今から王のもとへと参上しなければならない。夫のある身ながら、そこに待ち受けるおのれの運命を悟り、苦悩を募らせるバテシバ……。
バテシバはスザンナと並んで、女性の裸身を堂々と描いてよいテーマであるから、何人もの画家たちがそのふくよかな艶姿を描いた。だが、レンブラントのこの絵は、ただ単に女性のヌードを美しく描きたいというような気持ちからおよそ離れたところで成立している。
レンブラントのバテシバは、苦悩の中に息をする女性である。だが果たして、巷間言われるような、王の横恋慕の犠牲者となるだけの受け身な存在なのだろうか。バテシバの手には王からの手紙が握られている。バテシバを描いた多くの絵の中でも、王の手紙を登場させたものは実は稀である。その手紙は、自身の運命を変えるものである。そこには、召喚命令のような固い指令ではなく、愛の言葉が書きつらねられてあったろう。王はバテシバにぞっこんなのである。バテシバは王に愛されてしまった女なのだ。
バテシバは、王の想いに動揺しているのではないか。自分を慕う王に惹かれるところがあるのではないか。豊かな白い肉体の輝きは、王の愛によって照らし出され、彼女自身が秘めた官能が反応し輝くからではないのか。バテシバの苦悩は、そういう自分の微妙な女心、そして官能の
そう思うと、この絵が抱える陰の主役が浮かびあがってくる。人妻と知りながら、恋に落ちてしまったダビデ王である。バテシバの顔に浮く苦悩は、手紙の主である王の苦悩とこだまを交わし合っている。王もまた、道ならぬ恋に苦しんでいるに違いないのだ。
水もまた重要な役割を果たしているのかもしれない。水は鏡――。そこに映し出されるのは、バテシバの秘めた心であり、ダビデの胸を焼く狂おしい恋情であり、ひょっとすると、画家自身の心をもだしがたく揺さぶってやまない、抑えがたい愛の執着なのかもしれない。
バテシバの表情は、内縁の妻で20歳年下のヘンドリッキエのものであると指摘されている。ならばいっそう、この絵には、画家自身の心模様が反映していることになろう。ヘンドリッキエとの間に生まれた最初の子供はすぐに死んでしまったが、この絵が描かれた1654年に授かった子供(娘ではあるが)は育つことになる。ダビデとバテシバに重なる関係性である。
レンブラントは旧約聖書に材を借りながら、自身に引き付けて物語を読み込んでゆく。主人公たちの思いを、自己に重ねながら、問いかけ、内面に迫り、人間存在の深奥を炙り出して行こうとする。聖書の物語を描きながら、その絵には、襞の深い赤裸々なおのれの姿が投影されることになる。
バシバへの関心をさらに発展させ、それを別の角度から描いたと思しき作品がある。1665年、レンブラント59歳の時に描かれた1枚の絵がそれだ。この絵は長く「ダビデとウリヤ」というタイトルで知られてきた。中央の人物をバテシバの夫ウリヤとし、右手後方の人物をダビデとする。
バテシバを人妻と知りながら恋し、身ごもらせたダビデは、姑息な画策をする。まずは戦地にあったバテシバの夫ウリヤを王都に戻し、帰宅させようとした。生まれてくる赤子を、ウリヤの種になるものと偽装するためである。だが、同僚たちが命を懸けて戦っているのに、自分だけがぬくぬくと妻の待つ家でくつろぐわけにはいかないと、ウリヤは上京しても家には戻らない。それならばと、王はウリヤを激戦地の最前線に送り込む。ウリヤは戦場で果て、帰らぬ人となる。
ウリヤはおのれを待つ運命を予感しつつ、王命を甘んじて受ける。妻に降りかかった「災難」についても、気づいていたのだろう。憂いに満ちた諦念を胸に、ウリヤは王のもとを去る。王はおのれの理不尽さを自覚しつつも、バテシバへの恋慕がすべてに凌駕し、どうしようもない。王と忠臣の永遠の別れに立ち会った老臣が、左の奥で、苦悩を噛みしめつつ黙然と見送る。
この絵は、エルミタージュ美術館が所蔵する23点のレンブラント・コレクションのうちの1点である。2017年に日本で開かれた「大エルミタージュ美術館展」で、この絵も来日した。ところが、驚いたことに、タイトルが「運命を悟るハマン」になっていた。説明はなかったが、エルミタージュとしては長年親しまれてきたタイトルに異議があるようなのである。
ハマンの物語は旧約聖書の「エステル記」に登場する。ハマンはペルシャの宰相であり、ユダヤ人を憎んで皆殺しにしようとするが、王妃エステルは実はユダヤ人だったので、自身の出自を王に告げ、結局、ハマンは死刑に処せられる。この物語に依拠したのだとすれば、絵の主人公は王の不興を買い、死刑になる運命を悟って王のもとを去ったハマンということになる。
私個人としては、エルミタージュがとるこの新解釈には不満である。虐殺を思いつくような非道の主には、絵の主人公はとても見えない。登場人物の深い内面にまで立ち入って描くレンブラントにしては、ハマンの物語を十全に読み込んでいない。
このような「誤解」が生まれた背景には、レンブラントが晩年になるにしたがって、物語の説明的、具体的な描写を排して行ったという事情があるだろう。旧約聖書に素材を借りながらも、レンブラントの場合、初めから人間存在の深い洞察や登場人物への人間的共感が作品制作の動機となっていた。それが故に、齢を重ね、喜びや悲しみ、とりわけ不如意や苦難、絶望など、負の人生の経験を積むごとに、おのれへの眼差しを深め、その思いに沈潜して行ったのである。
レンブラントは自分との響き合いによって絵を描いている。聖書とこだまを交わしつつも、それはどこまでも「我が事」なのである。見せ場としての宗教画を巧みに描くということから次第に離れて行くのは当然であった。
彼がまた、自画像の画家であったことを思い出したい。生涯にわたって折あるごとに自画像を描き続けた人だったのだ。レンブラントは、聖書物語を借りながら、もうひとつの自画像を描いていたのである。
画家が生きたのは、16世紀、オランダ黄金期であった。「夜警」に代表されるような市民集団を描いては、右に出る者はいないだろう。無論、それもレンブラントの才である。社会的要請でもあった。だが、聖書の物語におのれを重ねながら、もうひとつの自画像を紡ぎ続けた画家の姿こそは、孤独な芸術家、偽らざる真のレンブラントだったのではないだろうか。