オランダ、フランドル地域に、おそろしくリアリズムの研ぎ澄まされた静物画が盛んに描かれた時代があった。自然界の生き物、動植物を生々しくも鮮やかに描き出す細密画風の絵画群が出現したのである。
魚市場での魚類や甲殻類の絵など、体のぬめりまでがてらてらと輝き、薄気味悪いほど。鳥の絵にしても、空に羽ばたく姿ではなく、調理台に横たわる死骸が息を呑むほどの精密さで描写されるので、背筋がひんやりとする。
美術史家たちは死骸のリアリティから、しばしば「ヴァニタス(原義は「空虚」)」を強調する。「死を思え(メメント・モリ)」を説くためにそれらの絵が描かれたとする。だが17世紀、オランダ黄金期に隆盛を見たこれらの静物画の実態は、抹香臭い教義を超えて、華やかに、豊かに展開された。
花器に飾る花々を描いた絵は、たとえ「ヴァニタス」を根に持とうと、瑞々しい花そのものの美をゴージャスに盛っている。画家も、その絵を愛した市民たちも、「死を想う」以前に、生命力溢れる花の美に恍惚としていたに違いない。
大ブリューゲルの次男にして「花のブリューゲル」と呼ばれたヤン・ブリューゲル1世(1568~1625)の代表作「青い花瓶の中の花束」(ウィーン美術史美術館蔵)もまた、この時代とこの地域の精神を見事に体現している。
チューリップやバラ、アイリスなど、多くの種類の花々が、惜しげもなく、花瓶に溢れんばかりに集められた。闇を背景に浮かび上がる色とりどりの花々は、ディテールに至るまで生々しく描かれる。花に寄る蝶の可憐な姿もあるが、テーブルには、「ヴァニタス」の名残りか、落花もあり、草花を蝕む小さな虫もいる。まるで花園をひとつに凝縮させ、花瓶に強引に集めたように、過剰なてんこ盛りなのだ。
面白いのは、花の季節がひとつでないことである。多種多様な花を集める分、花は特定の季節に限定されることなく、実際には同時に咲くはずのない花々がバーチャルにひとつの花瓶に挿しこまれている。花の絵を依頼したミラノの枢機卿から絵の督促が寄せられた際、画家は、四季の花々を描くのでその季節に花が咲くまで待たなければならないと返答したと伝わる。
それらの花々にはまた、オランダ産のものではない、世界各地の珍しい植物も含まれていた。ヤン・ブリューゲル1世の活動拠点はアントウェルペンであったが、ここの宮廷植物園で、地中海沿岸や中近東からの希少な植物を観賞することができた。また時には、世界の珍しい花々を写生しに、ブリュッセルの宮廷植物園にも足を延ばしている。
わけてもヤン1世の花の絵に必ず登場するのがチューリップで、トルコ原産のこの花は、1593年にライデン大学で球根栽培に成功して以降、人気花かき卉となり、投機の対象となるほどの爆発的なブームをもたらした。バブルを引き起こす人気の花を花の絵の常連スターとして扱ったヤンは、やはりこの時代の申し子と言うべきであろう。
花瓶の中には、世界が詰まっている。異国渡りの花々の輝きに対する驚きと発見、ぞくぞくするような好奇心と知の悦楽が溢れている。多種多様な花束は、世界の神秘を象徴する。世界に冠たる17世紀オランダらしい、国際経済活動に伴う博物学的な興味が花の絵を支えているのだ。
もうひとつ面白く思うのは、植物であれ動物であれ、これらの静物画におしなべて共通する、質感の比類なき精密な描写である。スーパー・ハイビジョンとも言うべきリアリズムの極致は時に幻想味さえ醸し出す。
おそらくは、当時のオランダを代表する哲学者スピノザが、レンズ磨きにたけた光学研究者だったという事実と無関係ではあるまい。フェルメールが光の魔術を発見したのも、カメラ・オブスキュラを通してであったと言われる。光学的な革新技術が、新たな時代に新たな目を世界に向けて開かせたのである。
東京都美術館で開催中の「ブリューゲル展画家一族 150年の系譜」に足を運んだ。花の絵としては「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」が展示されている。ヤン1世と息子(ヤン・ブリューゲル2世)の共作とされるが、父の流儀を学び取ろうとした息子の努力が伝わってくる。
チューリップと薔薇という2大スターを得て、花瓶には世界の神秘が森厳と息づいている。国際貿易国オランダの黄金期に、地球規模の博物学、植物学への関心と、美への志向が交わり生まれた独特の世界――。絵に刻された花の命が、時を超え絢爛と輝いていた。