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第19回 表
 猫に生き、猫を愛し、猫を描(か)いた 究極の猫画家、ルイス・ウェイン

作家 多胡吉郎

 この人には、世話になったことがある。猫の挿絵で知られたルイス・ウェイン(1869~1939)。2016年に出した『漱石とホームズのロンドン』という本の中で、この人の猫絵について簡単に触れた。漱石がロンドンに留学した20世紀の初め、イギリスではウェインの猫画が大変な人気を呼んでいた。漱石は帰国後、『吾輩は猫である』を発表して作家への道を開くが、猫を主人公に設定する奇抜なアイディアは、ロンドンで見たウェインの猫絵が影響している可能性もある。
 ウェインが猫を描くに至ったのは、早逝した愛妻が絡んでいる。1884年、23歳の時に、ウェインは10歳年上のエミリーと結婚した。もとは妹の家庭教師だったという。家族の反対を押し切って結婚に踏み切った恋女房であったが、新妻はほどなく乳癌にかかり、病床に臥すことになる。
 ウェインは看病の傍ら、妻を慰謝するために、もともとウェディング・プレゼントとしてもらった猫のピーターを描き始めた。こうして生まれた猫絵が、やがて一世を風靡し、一生の画業になるとは、当人も想像していなかったろう。看病もむなしくエミリーは3年後には亡くなり、それ以降、あたかも愛妻の記憶を猫絵に込めるごとくに、ウェインは猫を描き続けた。
 1匹の猫を単独で描いた絵もあるが、ウェインの真骨頂は、人間に擬した複数の猫が登場し、社会生活や人生の各景を演じる擬人画にある。ウェインの猫たちは洋服を着て、人間と同じように2本足で立ち、テニスやピンポンに興じ、釣りやハイキングを楽しみ、カフェやレストランで憩う。闊達な筆によって、ウェインの猫族たちは19世紀末から20世紀初頭のイギリスを闊歩したのであった。
 だか一方で、ウェインは著作権料のようなことには無頓着で、描いても描いても貧乏から抜け出せないというジレンマに陥った。1913年にはバスの事故に遭いデッキから転落、脳震盪を起して入院する。年を重ねるにつれて、社会への不適合性が頭をもたげ、周囲との違和感が軋み立つ。1915年に最愛の妹・キャロラインを気管支肺炎で亡くした後、ウェインは統合失調症を患い、精神病院に収容されてしまった。
 「売れっ子作家は退場を余儀なくされた。老若男女、誰からも愛されていたウェインの猫絵は、忽然と姿を消したかに見えた。だが実は、ウェインは精神病院でも猫絵を描き続けていたのである。それらの絵は、ウェインの死後ほどなく、ロンドンの精神科医によって発表された。統合失調症による精神分裂の症例として紹介されたのである。確かにそれらの絵は、ひと目見ただけで衝撃を覚えずにはいられない。かつての愛らしくユーモラスな姿は影を潜め、サイケデリックな表現が際立ち、何かが「爆発」したような異次元世界となっている。
 以後長らくの間、ウェイン晩年の猫絵は、心の病がいかに精神の均衡を失い崩れてゆくかを説くことに利用されたが、今ではそうした見方に対する批判も多い。精神病院に入院して以降の絵はいつ描かれたか定かでなく、そもそも、絵が抽象化してゆくのを人間性の破壊と同義に見なすこと自体に、私には強い抵抗感がある。
 かつては広く人々に見られるために描いてきた絵を、ウェインは今や自分のためだけに描いたのである。鏡に映る人間の姿と営みを猫族に演じさせてきたのだが、今や鏡の向こう側に自由に出入りするようになったのだ。鏡の向こうの猫の世界は、フォルムや色を超越する。線はギザギザが目立ち、電磁波かビーム光線のように浮きたち振動する。色彩は絵具箱をひっくり返したように饒舌だ。異教の仮面のようでもあり、また、後世のデジタル・アートを先取りしたようなアヴァンギャルド性にも満ちている。
 しかも、それらはどれほど過激であっても、最後まで猫絵なのである。素粒子状に分解さていてなお、その絵は、猫のイメージから成り立っている。「生きた、愛した、書いた」は作家スタンダールの言葉だが、それに倣えば、まさに「猫に生き、猫を愛し、猫をか描いた」ウェインだったのだ。おそらくは精神病院のベッドで見る夢も、猫だったのだろう。猫画家、ウェインの苛烈さは、哀しみの尾を引きながら、人と猫、猫とアートの究極の姿を呈示している。