第19回 奥

東アジアのキャッツ・ワールド

作家 多胡吉郎

 ルイス・ウェインによる猫の擬人画が、19世紀末から20世紀の初めにかけて、イギリスを中心に、たいそうな人気を博したことは述べた。7匹もの猫を飼い、「猫姫様」の異名をとる猫好きの知人女性にウェインの絵を見せると、
 「そりゃウェインの猫絵は可愛らしいけど、そういうセンスは、日本ではもっと前からあったのよね。世界一の猫画家は、何たって国芳だわ。なにせ絵を描く時にも、懐に猫を入れていたっていうのだもの」とおっしゃる。かなりの国芳贔屓と見た。
 歌川国芳といえば、19世紀前半から中頃の江戸に生きた反骨の絵師で、大胆な武者絵で知られるが、実は猫絵もよくした画家だった。そのことは、一般の美術ファン以上に、猫マニアたちにはよく知られた事実であるらしい。とにかく、世は空前の猫ブーム。いくつもの猫絵の本が書店の棚を飾り、猫絵を集めた美術展が各地で開かれるほどなのだ。
 多種多様な猫絵を描いた国芳だったが、ウェインと同じような擬人化した猫たちが活躍する絵も多い。「流行 猫の狂言づくし」は、流行の芝居(歌舞伎)の主役たちの恰好を猫が演じている。見えを切る猫、踊る猫、なかには裃を着て口上を述べる猫もいる。「流行 猫の曲鞠」は、鞠を使った曲芸の数々を猫が演じて見せるというもの。実在した菊川国丸という人気曲芸師の仕業を巧みに猫が真似ている。
 「猫のけいこ」では、当時流行った浄瑠璃の稽古を猫たちが演じている。三味線を手にした女のお師匠さんと2人の男弟子が稽古に励む。3者とも着物を着ているが、その着物がメザシやタコなど猫の好物をあしらった柄でできているという凝りようだ!
 およそ半世紀後に描かれたウェインの猫絵と比較すると、無論、洋服と着物と、洋の東西の差は明白ながら、猫が人間の恰好をして立ち回る、そのおかしみ、愛らしさなどには、いささかも差がないことがわかる。趣向という点では、国芳のほうが仕掛けに富んだ絵が多いように思うが、それは江戸末期という爛熟の時代のゆえであろうか。国芳が65歳で死んだのは1861年だが、驚くことに、明治維新からわずか7年前にすぎない。
 ともかくも、両者ともに猫の仕草や表情を熟知している。観察眼の鋭さもさることながら、ここではともに暮らした猫への愛情の賜物というべきであろう。


 浮世絵に美人画は外せないが、その艶冶なエロスの世界にも猫は登場する。それは、『源氏物語』の「若菜上」に描かれた、ひとりの女性を巡って猫が起こす名場面が大きく影響している。
 源氏の館、六条院で蹴鞠の会が開かれる。蹴鞠の名手として知られた青年、柏木も参加する。蹴鞠の最中、朱雀院のたっての頼みで源氏が正妻とした幼な妻の女三宮(おんなさんのみや)が飼う小さな唐猫がにわかに走り出て、そのあとを、大きな猫が追う。唐猫についた紐が御簾(みす)に絡まり、力づくで猫が紐を引いた勢いで、御簾がくるりとめくれあがってしまう。そこには、女三宮が呆然と立っていた。
 その美しさに、思わず見とれてしまう柏木(かしわぎ)。猫が機縁となり、蹴鞠の席での偶然が生んだ運命の「出会い」――。柏木にとっては、ひたすらに思い焦がれ、やがては胸を焼きつくして死に至る、かなわぬ恋の苦悩の始まりであった……。
 かつてこの国の絵画は貴族などひと握りの層の専有物であったが、江戸時代になると、町人の経済力や印刷技術の向上によって、絵は一般にも広がり、浮世絵が隆盛を見た。そしてその時、王朝以来語り継がれてきた『源氏物語』の猫が、女三宮という女性とともに、ひとつの美の典型として、繰り返し現れるところとなった。
 すらりとした八頭身の美人画で知られる鳥居清長に、「女三宮と猫」という絵がある。御簾のあがった部屋に佇む王朝の女性――。女性は紐を引いており、その先には着物の裾に隠れるようにうずくまる小さな猫がいる。
 美人画を代表する歌麿にも、「絵兄弟 女三宮」という絵がある。ひとつの画面上で、本歌にあたる猫を引く王朝美人の女三宮を枠囲いの中に収め、メインとしては犬を引いた当世風の遊女を描くという、凝った趣向の作となっている。
 少し時代をさかのぼり、錦絵の創始者にして、江戸の美人画を確立した鈴木春信にもまた、『源氏』以来の伝統を踏まえた素晴らしい女三宮の絵がある。
 「女三宮と猫」――。基本的な画面構成は童女を欠くだけで、女人の体の向きなど、清長の画とよく似ている。誰の目にも明らかな差は、清長の女三宮が一応は王朝風俗を踏まえて描かれているのに対して、春信のヒロインは江戸の風俗をまとう「現代」女性であるという点だ。これは明らかな「見立て」で、女三宮という『源氏物語』に綴られた王朝女性に重ねながら、当世を生きる美しい女性に焦点を当てている。
 もう少し踏み込んで言えば、清長の女三宮は八頭身美人で丈も高く堂々として、威厳に満ちている。体をひねって向けた眼差しの先には、着物の端にうずくまる猫がいて、その関係性は直接的で、緊張感をはらんで隙がない。
 それに対して春信の絵は、全体として柔らかく、奥行きが深い。女の視線は猫に向けられているが、猫に留まらず、胸に溜めた思いに乗せて、どこかしらへ浮遊してゆくような含みがある。あたかも猫を契機に、かなわぬ恋に身を焦がす哀れな男を思い、あるいは、そのような男と自分とを結びつけてしまった不思議なえにし縁、運命へと思いを馳せるかのような、そういう広がりがある。
 さらにつけ加えると、清長の絵では部屋の外は縁側だけだが、春信の絵では廊下の先に、花を咲かせた桜の木が姿を現している。これは『源氏物語』の「若菜上」で蹴鞠の会が行われたのが桜花爛漫の頃であったことを踏まえているが、桜の木が登場したことで、その花の下で蹴鞠に興じていた柏木の存在がクロースアップされることになる。
 つまり、猫を連れた女ひとりを描いた絵でありながら、この絵には、画面には登場しない、女を思い焦がれる男の存在が濃厚に匂わされているのである。女は男から寄せられる想いを(あるいは男への想いをも)反芻しながら、猫を見つめているのだ。
 このあたり、春信は「オフ」を抱え、とりこむ表現が実に巧みだ。絵に込められた物語が何ともふくよかなのである。絵は動画と違い、その瞬間の像を描くしかないものだが、春信はそこに時間の広がりをからませる。そしてこの点において、連載の初回奥でも触れた通り、春信はフェルメールによく似ていると感じてならないのである。


 もちろん、鈴木春信の絵には女三宮とは無関係の猫も登場する。その実、江戸の浮世絵師のなかにあって、春信は国芳に次いで多くの猫絵をものした大家なのである。
 「猫をじゃらすお仙」――。当時、谷中の笠森稲荷の門前にあった茶屋「鍵屋」の看板娘のお仙をモデルに、春信はいくつもの「笠森お仙」の美人画を発表した。これはそのなかでも特に猫と結びついた作品となる。
 お仙を目当てに、多くの男客が店を訪れる。今日は若衆風の侍が客として坐っている。そんじょそこらの手口では、美人で評判の娘の関心を惹きつけることはできない。そこで男がもちこんだのが猫。案の定、お仙は男の膝に抱かれた猫へと興味を示し、帯の先で猫をじゃらす。
 男の作戦が功を奏したかたちだが、猫にかまうお仙が帯を差し出し、その帯が半ばほどけ加減に見えるのは、暗示的だ。男の表情は胸の内を明かさぬほどにすましているが、左足は草履を脱いで裸足を見せており、これもお仙の帯と対応して意味深長、恋の景色をかたちづくる。
 絵に添えられた和歌は、「いつよりか秋のもみぢの紅に袖のなみだのならひそめけん」と読めるが、紅葉(もみじ)の色づく秋に芽生えた恋の始まりを詠んだこの歌からも、猫が登場するこの絵に込められた心理的伏線、綾は明らかだ。つまり、猫は恋のキューピット役を果たしていることになる。
 もうひとつの春信の猫の絵、「水仙花」を見てみよう。童謡の「雪」にある如く、猫は炬燵の上で丸くなり、すやすやと眠っている。猫は全くの静だが、人間のほうはそうはいかない。
 火燵の向こう側に突き出た男の足を、女がくすぐっている。普通、この絵は女からの自発的行為を男が受けるように解釈されることが多いが、私に言わせればそれは一面的な表層の見方で、春信の男女を凝視する眼差しははるかに複層的である。
 男は、火燵の中で足を延ばし、先ほど以来、向き合って坐る女に悪戯をしていたのだ。女はしばらくの後にその男の足をつまみ出し、仕返しのようにくすぐりながら、「まあ、いけない足だこと」とか、「もう、おいたがすぎるんだから」とか言いながら、男をたしなめる。男は本をひろげているが、なに、先ほどから文字はひとつも頭に入っていない。ひたすら神経を集中させていた男の足が何をしていたかは、炬燵から出た女の裾が割れ、白い足が覗いているところから想像がつく。
 水仙が咲くのは春先で、もうそろそろ火燵はしまってもよい季節なのだが、ふたりにとっては、多少のぼせてしまうようでもまだ必要な道具なのかもしれない。逆に言うと、まだ火燵の必要な寒さが残るものの、ふたりの間では、はや水仙が咲きそめるほどのあたたかさと、そう解くべきかもしれない。いずれにせよ、水仙は春風駘蕩、忍びがたくも健やかなエロスの象徴の役割を担わされている。
 そういう男女間の恋の秘め事のドラマにおいて、猫は黙って脇役をつとめている。我関せずのようにも見えるが、どこか愛の儀式の立会人のようにも思える。『源氏物語』の女三宮の逸話、そして「笠森お仙」の猫が恋のキューピット役を果たしていたことも併せ考えると、猫とはそういう、男女の出会いの摩訶不思議な縁を手繰り寄せる超能力を秘めた存在なのかもしれない。まさに運命の仕掛人である。
 と、ここまで書いて、はっとした。ルーベンスやバロッチなど、西洋の「受胎告知」の絵に猫が登場し、時に司祭か巫女のように、聖なる生命を吹き込む秘儀に立ち会っていたことを思い出したのだ。
 イエスとマリアの関係は息子と母ではあるが、カーニヴァルの山車人形などでは時にカップルのような男女にもなる。民俗学のような次元では、陽神と陰神として解くことも可能なはずだ。
 こうして考えると、洋の東西の垣根を越え、猫のもつ特性がほの見えてくる気がする。人のすぐ近くに棲むが、単なる「仲間」ではなく、ましてや「従僕」などに堕ちず、どこか泰然として、神の意志やら、運命というものの「使い」役として、呪力をもって生きるもの――、それがすなわち猫の正体なのではないだろうか。


春信の猫は、作品世界での扱われ方、物語的文脈のなかでの描かれ方が意味深長で興味がつきないが、猫好きたちがひと目で喜ぶような猫そのものの可愛らしさということになると、やや覚束ない。その点、この人の猫絵は無条件に可愛い。国芳を筆頭に江戸の浮世絵師の描く数多くの猫絵に比べて、今風な感覚から見ても充分に可愛らしく、魅力的なのである。
 卞相璧(ピョン・サンビョク)――。18世紀の朝鮮を生きた画家で、号を和斎(ファジェ)と称した。肖像画も描いたが、動物の絵、とりわけ猫の絵をよくし、朝鮮の猫画家といえばこの人と言われる。生前から、「ピョンコヤンギ(卞猫)」と綽名されるほどだった(ピョンは姓。コヤンギは朝鮮語で猫のこと)。
 卞の描く猫の特徴は、まずはその大きな目にある。濡れ輝くガラス玉のような目とその中央の瞳が豊かな表情を生む。無心の愛くるしさから、ちょっとした狡猾さまで、まさに目は口ほどに物を言う。また、S字を描くように丸く屈折し、湾曲した体のフォルムの捉え方も、躍動感や生々しさを感じさせる。毛並みの表現も巧みで、かつ尾が得も言われぬ表情をつくる。相当に猫を観察して描いたことは間違いなかろう。
 画題としては「猫雀図(ミョジャクト)」と名づけられたものが多い。これはもともと中国に生まれた絵の典型のひとつとして、猫と雀を合わせ描く伝統に準じたものである。中国語では「猫」は「耄」と発音が同じであることから長命(特に古希=70歳を意味した)を、また「雀」は「鵲」(カササギ)と同じ音なのでめでたさを表し、合わせて長寿を祝い願う意味をもつのだという。
 「猫耋図(ミョジルド)」と名づけられた絵は、茶色の猫1匹を描いたものだが、何とも愛くるしい。「耋」の字は漢字を分解すれば「老いに至る」で、80歳の意味をもつとされる。中国語の音は「蝶」と同じなので、「猫耋図」と言えば普通は猫と蝶を描く。だが、卞相璧はここでは猫と菊花を描いている。
 猫に菊を合わせるのも東洋画の習いで、「菊」は中国語で「居」に似ているところから、老境を悠々自適に楽しむ隠遁者を意味するという。卞相璧には「菊庭秋猫(ククチョンチュミョ)」と題された絵もある。
 「猫雀図」には2匹の猫を描いたものもある。枝上に雀が戯れる樹木の幹に茶色の猫が飛びつき、その先の作戦を尋ねるかのように地上の白黒猫と目を合わす。親分子分のような両者の猫の顔の向き、体のしなり具合、そして互いの尾のカーブや張りが実にいい。2匹で大きくS字を描くような空間構成も見事に尽きる。
 卞相璧の描く猫はことごとくが正確な観察によって支えられている。「図画署(トファソ)」という、宮廷の絵画製作所の官員であり、英祖(ヨンジョ)王の御真影制作にも2度関わったという正統派だが、持ち味のリアリズムは猫絵においても遺憾なく発揮されている。
 だが、素晴らしい猫絵を生む原動力は観察だけではなかった。筆を運ぶ最大の力となったのは、他ならぬ猫への限りない愛情だったであろう。この点、卞相璧は「東洋のバロッチ」と呼ぶにふさわしい猫画家の大家なのである。
 さて、秋の初めのある日、私は小躍りするような胸はずむ気持ちで、猫好きの知人、「猫姫」のもとへと赴いた。素晴らしく可愛らしい猫絵を発見したとだけ予告しておいた。
 いくら猫姫様でも、まさか韓国の猫絵までは視野に入っておるまい……。泰西名画の「受胎告知」の猫に関してはすっかりコケにされてしまっただけに、今回は是非ともリベンジをとの密かなたくらみがある。そもそも私が卞相璧を知るきっかけとなった、ソウルで入手した韓国美術史の本を持参して、そのなかの卞の作品を見せながら語る作戦であった。
 「最近、こんな猫絵を見つけましてね」――私はおもむろに本をカバンから取り出し、ひろげて見せた。
 「ああ、ピョン・サンビョクね」――こちらから説明する前に、猫姫様は画家の名を原音で、いとも簡単かつ正確におっしゃる。どうも出鼻をくじかれた感がぬぐえない。
 「猫絵に関しちゃ、天才だわね。2014年の春に松濤美術館でやった『ねこ・猫・ネコ』展にも出品されていたのよ。それにね、もとはといえば、かれこれ10年くらい前に「チャングムの誓い」って元祖韓流時代劇みたいなドラマが流行ったでしょう。あの時、チャングムの部屋に可愛らしい猫の絵が飾ってあって、それが何かって、猫好きの仲間内で評判になったの。それが出会いだわ。時代考証的には、チャングムって人のいた時代にはまだピョン・サンビョクは生まれていないので滅茶苦茶なんだけど、私たち猫マニアにとっては、新しい世界との出会いになったわけ」
 意外な展開に膝頭が震えだす。旗色が悪いなんてもんじゃない。私の知らない情報が次から次へと飛び出すのだ。
 「チャングムってドラマが日本の茶の間を賑わしていた頃には、私はイギリスに住んでいたので、当時の雰囲気となると……」私の言い訳を、猫姫は最後まで聞いてくれなかった。
 「韓国で本を買ってご自慢のようだけど、やっぱり本物を見ないとダメよね。私は猫好きの仲間と一緒に、ソウルにも行って見てきたわ。国立中央博物館とか、澗松(ガンソン)美術館とか。澗松美術館なんて、春と秋の15日間ずつしかオープンしてなかったのだもの、その時期に合わせて、わざわざ出かけたのよ。よくって。猫を愛し、猫を語るとはそういうことなの。あなた、やっぱり猫への愛情がたらないわ!」
 「……」――図星なので、私はもはや声も出ない。
 「でもまあ、けなしてばかりでは可哀そうだから、ひとつ、よいことを教えてあげましょう。ピョン・サンビョクには『飛雀猫図』という絵があって、これが何と東京の国立博物館にあるの。行ってらっしゃいな。本物の絵を見ずして猫絵を語られたって、それは猫を飼ったこともないのに猫の可愛らしさを語るようなものじゃなくって! 顔を洗って出直してこいって感じよ」
 ああ、恐れ入り屋の鬼子母神! ミイラ取りがミイラになってしまった。リベンジどころではない。ほとんど土下座ものだ。やさしい助け舟を出してくれるそぶりを見せながら、最後はぴしゃりと釘を刺されてしまった。しかもその釘たるや、五寸釘さながら胸にずきんと突き刺さる激痛のしろもの……。
 「オホホホホ!」――勝ち誇った猫姫の笑い声が響く。その瞳は卞相璧の猫のようにきらきらと輝き、妖しさを放ってやまない。私はもはや蛇に睨まれた蛙、否、猫に睨まれた鼠そのものだ。
 ワルキューレの如きソプラノ・ヴォイスが天下にこだまする。猫姫様が猫神様に思えてきた。

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