世界の十大傑作絵画というくくりがあるなら、この絵は必ず選ばれるであろう。17世紀、スペイン絵画の黄金期を牽引したベラスケスの「ラス・メニーナス(女官たち)」―。空間構成の巧みさ。集団肖像画としての人物配置の確かさ。各人への目配り、そして個々を重ねて全体を束ねる揺るぎなさ。更に、画家自身の姿を加えたのみならず、鏡への映り込みに国王夫妻まで登場させた、卓越した劇場性と視点を複層化する仕掛けの贅沢さ。言を連ねれば、いくらでも賛辞が続く。
だが、私としては次の点を強調したい。多様な人物同士、個々にいろいろなやりとりがあり、視線を始め動きのベクトルが多角的に交差するが、そのすべての動きの中心点に、あたかも太陽系の中心の太陽のように、ひとりの少女が輝いている。天才的な大仕掛けによって構築されたこの傑作絵画は、畢竟(ひっきょう)、ひとりの少女に収斂(しゅうれん)してゆく、まぎれもない少女画なのである。
少女の名はマルガリータ。スペイン国王・フェリペ4世の娘で、後にはオーストリアのレオポルト1世に嫁ぎ、神聖ローマ帝国の皇妃になる。スペイン宮廷画家のベラスケスは、この少女の肖像画を、「ラス・メニーナス」を含め、都合6点手がけている。
ウィーンの美術史美術館にはベラスケスが描いた3歳、5歳、8歳のマルガリータ王女の肖像画が残る。5歳の肖像画は、「ラス・メニーナス」と同じ衣装に身を包む。私は何度か、美術史美術館の展示室で日本人団体観光客を見かけた。ガイド氏は必ず、「お見合い写真のように、スペインから未来の嫁ぎ先のウィーンに届けられたのです」と語る。その説明に、皆が一様に頷く。日本人には格別に納得のゆく解説であるらしい。だが、傍らで私はいつも思う。ハプスブルク王家間の結婚の逸話に惑わされ、画家と少女の関係性が忘れられてはいないだろうか…。
少女は着飾って画家の前に立つ。長い時間ではなかったろう。幼な子の忍耐力がさほど持続したとは思えない。だが画家は、絵を仕上げるため何度となくキャンバスに向かい、少女のイメージを塗り重ねたはずだ。これほどの濃密さで少女を描き続けた画家は、絵が完成し、しかるべき先に届けられれば、それで何事もなかったようにいられるものだろうか?
俗に「ハプスブルク顔」と呼ばれる特徴がある。目尻の垂れがちなぎょろ目、分厚い下唇、突き出た顎と、お世辞にも美形とはいえない。近親結婚を重ねた結果だという。子供のうちに早逝してしまう場合も少なくなかった。幸い、幼いマルガリータにはそうした負の特徴は現れていなかった。無邪気で溌剌とした少女の輝きが、春の陽光のように溢れ、放たれていた。
やがては、負の特徴が現れるであろうか…。少女の成長を怖れる気持ちが否応なく芽生えたろう。時よとまれと、少女の可憐さをキャンバスに塗りこめながら、画家はその美の永遠ならんことを祈るような気持ちになったのではないか。
いや、ことさら「ハプスブルク顔」に結びつけずともよい。少女には特別な輝きがある。天使のような無垢であれ、背伸びしたようなおませであれ、聞き分け知らずのわがままであっても、少女には少女だけが許される至純の輝きがある。ベラスケスは、マルガリータ王女を通して、少女の不滅の美をとらえていたのだ。どうかこの美が壊れないでほしい、これ以上成長しないでほしいという空しい願いを溜めながら…。
1660年、ベラスケスは61歳で死去した。マルガリータ王女を描いた未完の肖像画を残していた。娘婿のマルティネス・デ・マソが顔の部分を描いて完成させたというが、その顔にはハプスブルク顔の特徴が萌している。ベラスケスが、顔の部分を描き残したまま逝ったというのが、ひどく悲しい。永遠の少女に呪縛され、画家は命を縮めたのではなかったか。
「ラス・メニーナス」に戻ろう。少女が放つ不滅の輝きは大画面の核となり、そのオーラが横溢する。ご機嫌斜めなのか、ぷっとふくれたような表情だが、そこがまた何とも可愛い。世界は少女を中心に回っているのだ。この絵の完成から4年後、ベラスケスは不帰の人となる。絵の主役だったマルガリータは1666年、15歳でウィーンに嫁ぐが、21歳で他界する。
あらゆる意味でゴージャスなこの傑作絵画は、永遠なる少女の輝きとともに、人の身として避けようもない、時の移ろいのはかなさ、悲しさを秘めている。