第23回 表

アガペーとエロスの間に ティツィアーノ「悔悛するマグダラのマリア」

作家 多胡吉郎

 

 旧約から新約まで、聖書は基本的には男性原理に貫かれている。しかし人間界が男女ふたつの性から成り立つ以上、何らかの形で女性の物語も付随せざるをえない。聖母マリアはそのようにして登場した女性筆頭格で、イエスの母として幾多の聖母像に描かれたのは勿論、時にはイエスとカップルのような対にもなって、イースターの折などペアの山車だしが町を練り歩く。
 さて宗教画全体を見回した時に、聖母マリアと並んで、準主役、否、殆ど主役級の重みで画布に登場するユニークなヒロインがいる。奇しくも名は聖母と同じマリア、マグダラのマリアがその人だ。
 そもそもこの女性の名が聖書に記されたのは、イエスの磔刑たっけいに立ち会い、死後の復活を目撃した人物としてであった。しかしその後、シモンの家での食事会に現れた、イエスの足元にひれ伏し、自らの髪で師の足に香油を塗ったという名もなき「罪深い女」が、いつしかマグダラのマリアと同一視され、悔悛する女性としてのイメージが付加された。教会組織の都合と言えばそれまでだが、悔悛する女性としてのお墨付きを得て、このヒロインはようやく聖人画のしかるべき位置に鎮座することが可能になったのである。
 ルネサンス以降、盛んに描かれたマグダラのマリアのトレードマークは、金髪の長い髪であり、香油の壺である。またしばしば髑髏どくろを抱えるのは、世のはかなさ(メメント・モリ)をわきまえ、世俗の価値を超えて真実を見出そうとした証であり、聖書が置かれているのは熱烈な信仰を表している。ここに紹介するティツィアーノの「悔悛するマグダラのマリア」(1565年頃。エルミタージュ美術館所蔵)も、これらのコードをきちんと押さえている。舞台は、マリアが晩年に隠遁生活を営んだというサント=ボームの洞窟だ。
 悔悛の女性に、画家は魅惑的で豊満な肉体を与えた。今や浮世を離れ、祈りに日々を捧げる身であっても、前半生、男たちの視線を集めて欲望の巷に妖艶な魅力を放った肉体の輝きは衰えていない。罪深い女から聖女に転身を遂げた運命のヒロインは、ひときわ美貌に輝き、誰にも増して性的魅力に富んでいなければならなかった。
 女性美を描いては屈指の画家であるティツィアーノは、何度もマグダラのマリアを描いている。エルミタージュ美術館所蔵のものから30年ほど前、1531年頃に描かれたピッティ美術館所蔵の作品では、ほぼ同じ構図の中、マリアは両方の乳房をさらけ出し、豊かな肉体を惜しげもなく見せていた。30年後の作品が乳房を露出させていないのは、1545年から1563年にかけて開かれたトレント会議の影響であると言われる。カトリックの原則を確認したこの会議で裸体画批判が起き、宗教画における女性のヌードが戒められた。会議直後に描かれたゆえに、エルミタージュ版のマグダラのマリアは露出を控えたという訳だ。
 確かに、乳首は覆われた。肌をさらした部分は以前よりも少なめだ。しかし、マリアの肉体の存在感は少しも弱まってなどいない。ふくよかで薫りたつような美しい肉体はなおも輝くばかりだ。加えて、以前にはなかった要素が画面を引き締めている。神への愛に感動して涙するマリアの表情が湛えた神々しいまでの真剣さ──。彼女の魂を揺さぶり、心を満たしてやまない厳粛な昂揚感と法悦が、清らに、しかし堂々と輝いている。肉体と魂が融合し、劇的な緊張感の中に真実の光を放っているのだ。
 以前、キリスト教式の結婚式に出席した折り、牧師が新婚夫婦に向かって、肉体の愛=エロスではなく、精神の愛=アガペーに生きねばならないと説教するのを聞き、白けた気分になったことがある。せめて若い2人には、身も心も真剣に愛し合って玉のような子をなすように、とでも語ってもらいたかった。
 ティツィアーノは挑戦している。頑迷な教条主義に対して、肉も魂も併せ持ってこそ人間なのだと抵抗しているのだ。アガペーとエロスと、二律背反的に仕分けをしようとする単細胞に、同調できなかったのである。
 聖母マリアとマグダラのマリア、ふたりのマリアは対をなす。名前が同じなのも偶然ではあるまい。聖と俗で言えば、片や聖のみの、片や俗にあってやがて聖に転生した稀有なる存在なのだ。俗から聖へと渡る両義性がマグダラのマリアの真髄であり、女性そのものが秘める魅力の極みであろう。画家たちの垂涎すいぜんの的となったのも当然である。

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