第12回 表

「後宮」絵画の謎。「ガブリエル・デストレとその妹」(フォンテーヌブロー派)

作家 多胡吉郎

 

 美しい絵はいくらもあろう。だが、この絵のごとく、喉奥に刺さってとれぬ魚の小骨のように後々まで心に引っかかる絵は、そうあるものではない。寓意に満ちていることはわかる。だが容易には解けない。答えは出ないが、尾を引く強烈な印象は充分に魅力的だ。
 2人の女性が浴槽に裸で並ぶ。裸身の放つ白い肌がまぶしい。だが何よりの衝撃は、片方の女性が相方の女性の乳首をつまんでいることだ。500年以上も前の絵だとは、にわかには信じられない。超モダンな構図に感じる。女性の表情の機微は伺いようもなく、人形のような玲瓏たるエロスが漂う。どこか、後のポール・デルヴォーとの均質性をも感じさせる。
 謎をふくらませているのは、作者不詳という事実もある。フォンテーヌブロー派とあるだけで、タイトルや製作年代も確実には不明なのだ。世界傑作絵画百選などという本があれば、必ずや載るであろう名作でありながら、わからぬことばかり。こんな例は、他にはあまりなかろう。が、フォンテーヌブロー派の場合、類似のケースがいくつもある。これも不思議だ。
 フォンテーヌブロー派とは、イタリアのルネッサンスが盛りを過ぎてマニエリスムへと流れていった頃、イタリアからフランスに渡り、宮廷で活躍した画家たちが形成した美術のスクール(派)を言う。16世紀中葉から17世紀前半までとされる。宮廷の女性たちの私的空間(化粧室や浴室など)にまで画材をひろげ、艶冶(えんや)で官能的な作風が目立つ。作者不詳の作品が多いのは、あまりに「後宮」の奥深くまで立ち入ったからであろうか。謎に満ちた蠱惑(こわく)の宝石といった風情である。
 さて、件の絵のモデルとされた(乳首を触られているほう)ガブリエル・デステル(1571~1599)は、ブルボン王朝を開いたアンリ4世の寵愛を受けた女性で、美人として名を馳せた。アンリ4世はたいそうな好色家として知られたが、ガブリエルにはぞっこんだったらしい。とはいえ、ただの愛人ではなかった。サン・バルテルミーの大虐殺など、宗教上の新旧対立の激しかったこの時代、彼女は新教のユグノー教徒であったアンリをカトリックに改宗させて王位につかせるなど、王を守り支えた。彼女自身はカトリックだったが、プロテスタントとの抗争を回避する外交術にたけていた。
 アンリ4世は、夫婦仲が疎遠で、子供もなかった王妃マルグリット(王妃マルゴ)と別れて、すでに3人の子をもうけたガブリエルを正妃に迎えたいと望み、ローマ教皇と交渉する。だが、王妃の座が近づいてきたかに見えた矢先、ガブリエルは26歳の若さで急逝してしまう。毒殺説も流れた。
 彼女の死後、ようやくマルグリットとの離婚が認められ、アンリ4世はメディチ家からマリー・ド・メディシスを新たな王妃として迎えた。持参金目当ての政略結婚であった。ガブリエルが殺されたとするなら、こうした宮廷の裏事情の駆け引きによって抹殺されたのだろう。
 このガブリエルの栄光と死を知ると、絵が秘めた寓意はそれなりに解けてくる。乳首タッチは妊娠の確認であるという。手にした指輪は求婚を経た王妃への道を約するもの。後方の下女が縫うのは生まれてくる王の子の産着。奥の壁に飾られた絵には、男の下半身が描かれる。下女の左手の壁にかかる鏡には何も映っていないが、これは空しく消えた夢を表すか。こう見てゆくと、すべては王妃の座に手をかけながら頓挫したガブリエルの無念を語るかのように思えてくる。
 だがその場合、もう一人の女性、乳首をつかむ女性の存在意義が解けない。「その妹」とされたのは、容姿がよく似ているからだろうが、姉の妊娠を確かめるためにのみ、妹は裸まで晒して登場させられるのか。現代では、この絵はしばしばレスビアンのシンボル的イコンとしても扱われるが、確かに、ふたりの女性が裸身で並ぶ重要性は無視できるものではない。
 私は、このふたりの女性を同一女性と見たい。使用前、使用後ではないが、王のお手付きとなる前と以降と、ひとりの女性の運命をひとつの画面の中に、劇場仕立てに(深紅のカーテンを見よ!)並べて見せたのではなかったか。王の歓心を得、王子を産むことで、女性は権力を手にすることができるが、正妃でなければ寵姫にすぎず、宮廷の都合次第でお払い箱となる。
 その栄華と悲哀を、放恣なエロスのあだ花として縮図のように見せたのが、この匿名の名画なのだと思う。エロスの底に氷のような虚無が潜み漂うのも、むべなるかなである。

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